病院での対応に感動し、感謝することばかりの母の入院生活だった。
アルツハイマー症型認知症、で、腎臓の機能が低下し、歩けず、悲しみのどん底にいた母。痛さもあり、自分がなぜこんなにボケてしまったのかと嘆き、知らない所へ来ていることで不安いっぱいの母だった。
退院3日前まで、腎臓の機能を検査するためにも、尿の管や点滴の管がつながれ、身体がほとんど固定されていて、身体を動かすのは朝晩の洗面の時、2メートルの場所を移動する時ぐらい。
グループホームでの住まいは2階。その運営者の長が、もう寝たきりになってホームで受け入れできない、という思いを抱いても不思議はない。
しかし、母の、「元気になって家に帰るんだ」という思いが強くて、点滴や毎日のように採血をして痛い思いを忍耐し、リハビリをがんばった。この3日間、歩行練習をした結果、階段を登ることができるくらい、歩行が回復して、無事に今日、退院し、グループホームへ帰宅することができた。
看護士と腎臓内科の医師の連携と信頼は、私たち母娘にも向けてくださった。
私たちの希望を聴いてくださって、治療計画、リハビリもよくしてくださった。
何より、母の回復が早くて、それは診察が良いこと、看護士の愛情あふれる看護が母に伝わっていたことが一番の薬であったように感じた。
後半、尿の管をはずした際、夜中に1時間ごとに数回トイレに行く母を嫌がらず、トイレに重い身体を介護してくださった看護士の仕事に、ありがたいと手を合わせた。
幼い子どものように、素直で大きな声で話す母は、後半、看護士の人気者になっていた、と退院の世話をしてくださった看護士から感じた。
「何度お世話しても毎回『あんた、だれ?』その後に、『なんでここにいるんや、なんで血をとるんにゃ』と毎回聞いてくるんですよ。それでも、看護士の言うことを聞いてくれる、可愛いおばあちゃんでした。1日に何度もここへ顔を見に来たくなっていましたよ」
ナースステーションの前を急ぐために車椅子で母と一緒に出ていく際の看護士の皆さんが皆さん手を止めてかけよって笑顔で見送ってくださった笑顔は忘れない。
感謝感謝。
アルツハイマー症型認知症、で、腎臓の機能が低下し、歩けず、悲しみのどん底にいた母。痛さもあり、自分がなぜこんなにボケてしまったのかと嘆き、知らない所へ来ていることで不安いっぱいの母だった。
退院3日前まで、腎臓の機能を検査するためにも、尿の管や点滴の管がつながれ、身体がほとんど固定されていて、身体を動かすのは朝晩の洗面の時、2メートルの場所を移動する時ぐらい。
グループホームでの住まいは2階。その運営者の長が、もう寝たきりになってホームで受け入れできない、という思いを抱いても不思議はない。
しかし、母の、「元気になって家に帰るんだ」という思いが強くて、点滴や毎日のように採血をして痛い思いを忍耐し、リハビリをがんばった。この3日間、歩行練習をした結果、階段を登ることができるくらい、歩行が回復して、無事に今日、退院し、グループホームへ帰宅することができた。
看護士と腎臓内科の医師の連携と信頼は、私たち母娘にも向けてくださった。
私たちの希望を聴いてくださって、治療計画、リハビリもよくしてくださった。
何より、母の回復が早くて、それは診察が良いこと、看護士の愛情あふれる看護が母に伝わっていたことが一番の薬であったように感じた。
後半、尿の管をはずした際、夜中に1時間ごとに数回トイレに行く母を嫌がらず、トイレに重い身体を介護してくださった看護士の仕事に、ありがたいと手を合わせた。
幼い子どものように、素直で大きな声で話す母は、後半、看護士の人気者になっていた、と退院の世話をしてくださった看護士から感じた。
「何度お世話しても毎回『あんた、だれ?』その後に、『なんでここにいるんや、なんで血をとるんにゃ』と毎回聞いてくるんですよ。それでも、看護士の言うことを聞いてくれる、可愛いおばあちゃんでした。1日に何度もここへ顔を見に来たくなっていましたよ」
ナースステーションの前を急ぐために車椅子で母と一緒に出ていく際の看護士の皆さんが皆さん手を止めてかけよって笑顔で見送ってくださった笑顔は忘れない。
感謝感謝。
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