・人間は楽しみのために生きているのではない
生きることが喜び、生きることは義務、そして働いて、義務が喜び
タゴールの詩より
幸せとは、義務を果たした結果
「自分は人生にまだ何を期待できるか」と問うのではなく、「人生は自分に何を期待しているか」人生のどのような仕事が自分をまっているか、を問う。
どんなことがまだ自分を待ち受けているかは、だれにもわからない。どのような重大な時間が、唯一の行動をするような機会が自分を待ち受けているか、誰にもわからない。
自分の持ち場、自分の活動範囲でどれほど最善を尽くしているか、だけ。
ひとりひとりの人間は、かけがいなく代理不可能。自分の活動を通じて、もっと有意義でもっと意味に満ちた人生を送ることができる。
人生を意味あるものにできるのは、活動だけではなく、愛する存在として、美しいものや偉大なもの、善いものを愛しそれに身を捧げることによって、人生の要求を満たす。
感動した瞬間のためだけにこれまで生きてきたとしても、それだけの甲斐がある。
素晴らしい自然を前にする、愛する人がいる、それだけで生きている意味がある。
アスリートのように、困難に対してどのような態度をとるかで、その人本来のものが表れ、意味のある人生が実現される。
「何かを行うこと、何かに耐えることのどちらかで高められないような事態はない」ゲーテ
いつかは死ぬからこそ、何かやろうとする。
長生きしただけでは意味のある人生にはならない。
ある一人の人の自伝を判断する基準はその自伝のページ数ではなく、その内容の豊かさだ。
苦難と死が人生を意味のあるものにする。
人生に重みを与えているのは、ひとりひとりの人生が1回きり。1日1日、1時間1時間、一瞬一瞬が一回限り。
一人ひとりの人間は不完全だが、代替不可能な存在。
生きる意味と価値について
生きるとは、問われていること、答えること
自分自身の人生に責任をもつこと
生きることはいつでも化せられた仕事。
生きることは、困難になればなるほど、意味あるものになる可能性がある。
人生は、もっと良い人間になるために特別に猶予してもらっているもの。
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この本は、2度目だが、前に読んだ感想は残していないので、前に何を感じたのか記憶がない。
ただ、フランクル氏が書いた、強制収容所から生きながらえて得た人生観、生きる意味についての深い洞察について、羨望をもって読んだだけだったかもしれない。
2回目の今回は、この本を素読しているので、読み終えるのに1週間ほどかかるだろう。
週に2冊読む課題にすでに遅れているのだが、それでもこれは素読をして音として自分の脳に叩き込みたかった。
自分が生きる意味について、自分でしか味わえなかった境地がある。
他人にもある。
それを認めて、いろいろな人と関わることを、今回の読書で学んでいる。
いつかは死ぬのだ。
今の生でやることは、あと2つくらいか、って考えている。
著述と国際交流。
同時に10年やってみたら、何かを得るだろう。
なんでも10年単位でやり続けて観た境地を表現することを大事にしている。
メディアで制作と表現すること、10年。
ゲーム業界で制作すること、10年。
教育の世界で教えること、10年。
100kmウォークに参加して10年で、10年目で100マイルを歩いたこと。
これらは重なった時期も含めてでの換算だが、大なり小なり、続けてきて良かったと自画自賛している。
今年から、今までやってきたことの総体制として、新しい世界に飛び込む。
今までと同じく、なんとかなるやろ、ってやっていく。
ゲームのシナリオを初めて書いた時が、一番の冒険だった。
書き方がわからない、って躊躇したら、今の自分はいない。
シナリオを書きながら、クライアントに書き方を教えてもらっていた、という、今思えば、図々しい仕事のやり方だったが、結果オーライなのだ。
健康だけ、気をつけよう。
多くの方の支援にもこれからも感謝していく。
すべてに感謝。
生きることが喜び、生きることは義務、そして働いて、義務が喜び
タゴールの詩より
幸せとは、義務を果たした結果
「自分は人生にまだ何を期待できるか」と問うのではなく、「人生は自分に何を期待しているか」人生のどのような仕事が自分をまっているか、を問う。
どんなことがまだ自分を待ち受けているかは、だれにもわからない。どのような重大な時間が、唯一の行動をするような機会が自分を待ち受けているか、誰にもわからない。
自分の持ち場、自分の活動範囲でどれほど最善を尽くしているか、だけ。
ひとりひとりの人間は、かけがいなく代理不可能。自分の活動を通じて、もっと有意義でもっと意味に満ちた人生を送ることができる。
人生を意味あるものにできるのは、活動だけではなく、愛する存在として、美しいものや偉大なもの、善いものを愛しそれに身を捧げることによって、人生の要求を満たす。
感動した瞬間のためだけにこれまで生きてきたとしても、それだけの甲斐がある。
素晴らしい自然を前にする、愛する人がいる、それだけで生きている意味がある。
アスリートのように、困難に対してどのような態度をとるかで、その人本来のものが表れ、意味のある人生が実現される。
「何かを行うこと、何かに耐えることのどちらかで高められないような事態はない」ゲーテ
いつかは死ぬからこそ、何かやろうとする。
長生きしただけでは意味のある人生にはならない。
ある一人の人の自伝を判断する基準はその自伝のページ数ではなく、その内容の豊かさだ。
苦難と死が人生を意味のあるものにする。
人生に重みを与えているのは、ひとりひとりの人生が1回きり。1日1日、1時間1時間、一瞬一瞬が一回限り。
一人ひとりの人間は不完全だが、代替不可能な存在。
生きる意味と価値について
生きるとは、問われていること、答えること
自分自身の人生に責任をもつこと
生きることはいつでも化せられた仕事。
生きることは、困難になればなるほど、意味あるものになる可能性がある。
人生は、もっと良い人間になるために特別に猶予してもらっているもの。
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この本は、2度目だが、前に読んだ感想は残していないので、前に何を感じたのか記憶がない。
ただ、フランクル氏が書いた、強制収容所から生きながらえて得た人生観、生きる意味についての深い洞察について、羨望をもって読んだだけだったかもしれない。
2回目の今回は、この本を素読しているので、読み終えるのに1週間ほどかかるだろう。
週に2冊読む課題にすでに遅れているのだが、それでもこれは素読をして音として自分の脳に叩き込みたかった。
自分が生きる意味について、自分でしか味わえなかった境地がある。
他人にもある。
それを認めて、いろいろな人と関わることを、今回の読書で学んでいる。
いつかは死ぬのだ。
今の生でやることは、あと2つくらいか、って考えている。
著述と国際交流。
同時に10年やってみたら、何かを得るだろう。
なんでも10年単位でやり続けて観た境地を表現することを大事にしている。
メディアで制作と表現すること、10年。
ゲーム業界で制作すること、10年。
教育の世界で教えること、10年。
100kmウォークに参加して10年で、10年目で100マイルを歩いたこと。
これらは重なった時期も含めてでの換算だが、大なり小なり、続けてきて良かったと自画自賛している。
今年から、今までやってきたことの総体制として、新しい世界に飛び込む。
今までと同じく、なんとかなるやろ、ってやっていく。
ゲームのシナリオを初めて書いた時が、一番の冒険だった。
書き方がわからない、って躊躇したら、今の自分はいない。
シナリオを書きながら、クライアントに書き方を教えてもらっていた、という、今思えば、図々しい仕事のやり方だったが、結果オーライなのだ。
健康だけ、気をつけよう。
多くの方の支援にもこれからも感謝していく。
すべてに感謝。
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