ありがとうのブログ

毎日、家族や仕事関係の人たちとのふれあいで感謝していることをつづります。

限界を感じる

2007年11月26日 21時47分42秒 | Weblog
感情不安定な父が、私に暴力を振るおうとした。
発端は、ニュースで東北の農家が借金1千万で、今年の利益が50万円しかない、というレポートを聞いたので、「大変だなあ、うちはまだ幸せだなあ。」とつぶやいたのがいけなかった。

経済的に大変だと感じているが、それでも刺身は食べたい、おいしい肉を食べたいという母に少しでも食事に出すようにしている。母と一緒に父にも、同様に同じおかずを出す。
父は、お金に関して、こずかいをもらっていない、と言い張るが、年金が入った時には、1万円を渡しているので、これも認知に入ってきたのだろう。
1万円を渡すと、母と二人で近所の高めのスーパーに行き、寿司や高い刺身と肉を買ってくる。月に2回スーパーに行って、他に物忘れ外来の診察代金を払うと、お金はなくなる。母の月2回の糖尿病の診察薬代金は、私が両親の年金から払うので、別に良い。

私が身の回りの世話で足りないところがあるのだろう。
食事も自分の思ったようなおかずやご飯ではないのだろう。
でも何が食べたいと言えないもどかしさがあり、また、我慢すればよいのだと思っているが、それに被害者意識を強くしていく習性があるようだ。

そして爆発だ。
孫である息子の行動も自分の行動を見ていたというだけで、気に入らないと怒鳴る。息子は、おじいちゃんにどなられる理由もわからず、どなられ、接しないように注意をしている。自分を守るためだ。

母の弟であるおじさんのお嫁さんは、自分の母親を介護した経験があるので、電話して聞いてみると、父の様子は、介護の範囲ではなく、第3者が介入して別居する方向でいかないと、私の精神状態や健康がおかしくなるとのアドバイスで、私は決断する。
明日、ケアマネジャーにお手上げだと伝えて、良いケアプランを考えていただく。
来年からは、新生活を息子と二人で送りたい。
前夫の暴力の生活から逃れて、子供も大きくなったと思ったら、父の暴力の傾向が出てきて、また対処するしかない。

なぜこうも私と暮らす男性は、親でも手が出るのか。私の口が達者だからか。
強い私にそれでしか対応できないからか。そんな空気を私が出しているのか。

おじいちゃん、おばあちゃん、おかんとおとんをちゃんと世話できなくて、ごめんなさい。3日前くらいに、糖尿のおかんが隠れてこそこそとお菓子を食べていたのを叱ってしまったときに、「○○ちゃん(私の名前)、みーちゃん(母の名前)を堪忍してや」というおじいちゃんとおばあちゃんの声が聴こえた。そして、ハッとなって感情が収まった。きっとおじいちゃん、おばあちゃんは私たちの生活を見ていてくれていると思った。

私の人生に今、変革が起きようとしているので、配慮してくれたのかもしれない。

自分が精一杯に前向きに生きようとしていれば、道は開けるだろう。今、自分のできることをを精一杯する。
それは、自分の人生をしっかり見つめて、仕事と人生を軌道にのせてしっかり歩もう。息子は私の背中を見て成長しているのだから。

感謝



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