幸せの扉より抜粋
【 心が豊かになるブッダの言葉 】
(1)以前には怠りなまけていた人でも、のちに怠りなまけることが無いなら、その人はこの世の中を照らす。あたかも雲を離れた月のように
(2)学ぶことの少ない人は牛のように老いる。彼の肉は増えるが彼の知恵は増えない。
(3)今日すべきことは明日に延ばさず確かにしていくことこそ、よい一日を生きる道である。
(4)目的が達成されるまで、人は努めなければならぬ。自分の立てた目的が、そのとおりに実現されるのを見よ
(5)正しい教えを知らないで百年生きるよりも、正しい教えを聞いて一日生きる方がはるかにすぐれている。
(6)おのれを抑えることと、多くしゃべらずにじっと考えることは、あらゆる束縛を断ち切るはじめである。
(7)愚かな人は常に名誉と利益とに苦しむ。 上席を得たい、権利を得たい、利益を得たいと、常にこの欲のために苦しむ。
(8)怨みは怨みによって鎮まらない。怨みを忘れて、はじめて怨みは鎮まる。
(9)多く説くからとて、その故に彼が賢者なのではない。
こころおだやかに、怨むことなく、怖れることのない人、かれこそ「賢者」と呼ばれる。
(10)過去は追ってはならない、未来は待ってはならない。ただ現在の一瞬だけを、強く生きねばならない。
(11)何処で、誰から産まれたのかを問うのではなく、あなたが何をし、これから
どうしようとしているのかを、問いなさい
(12)実力もないのに、他人の批判ばかりをしてはならぬ
(13)快楽より悲しみが起こり、快楽より怖れが起こる。
快楽より解脱したる人間にとりては、もはや悲しみも怖れもなし
(14)教えればできるようになる。教わればできるようになる。というのは思いこみだ。
まして除霊・浄霊というのはどうだろうか。その魂が悟らなければならない。
(15)執着があれば、それに酔わされるのだ。それゆえに、ものの姿をよく見ることができない。
執着を離れると、ものの姿をよく知ることができる。だから執着を離れた心に、ものはかえって生きてくる
(16)飲み友達なるものがある。きみよ、きみよと呼びかけて、親友であると自称する。
しかし、事が生じたときに味方となってくれる人こそ、友だちなのである
(17)眠られない人に夜は長く、疲れた者に道は遠い。正しい教えを知らない人に、その迷いは長い。
(18)自分の心をよく観察して、貪欲と憂いを取り除きなさい
(19)例え『これは自分のものだ』このように思っても死ねば失う。『自分のもの』という幻想に負けてはいけない
(20)足りないものは、音をたてるが、満ち足りたものは静かである
(21)思いわずらうな。なるようにしかならんから、今をせつに生きよ
-ブッダ -
■ 許し許される人になろう
ある日ブッダの弟子が、ブッダに「同じように悪いことをしても、地獄に落ちる人と、そうでない人がいるのは、なぜですか」と尋ねたそうです。ブッダは、「手のひらいっぱいの塩を、茶碗の水に入れたらどうなるか」と問い返し、弟子は、「しょっぱくなります」というような返答をしました。
そう、その通り。では、その手のひらいっぱいの塩をガンジス川に投げ込んだら、ガンジス川の水は塩辛くなるだろうか?」 と、釈迦は尋ねた。「いいえ、そんなことはありません。ガンジス川の水はほとんど変わりません。」 と僧が答えると、釈迦は、これがヒントですよと答えた。
良いことをたくさんしている人は、多少悪いことをしたとしても、それが薄まるのですが、逆はそうはいきませんよね。この考え方は色々なことに通じる。
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自分が悪いことをしたということばかり責めていても、元気は出ない。
反省をちょっとして、いいことをどんどんしていくことに集中すればいい。
なるようにしかならん。今を大切に関わる人に優しくしていたい。
すべてに感謝。
【 心が豊かになるブッダの言葉 】
(1)以前には怠りなまけていた人でも、のちに怠りなまけることが無いなら、その人はこの世の中を照らす。あたかも雲を離れた月のように
(2)学ぶことの少ない人は牛のように老いる。彼の肉は増えるが彼の知恵は増えない。
(3)今日すべきことは明日に延ばさず確かにしていくことこそ、よい一日を生きる道である。
(4)目的が達成されるまで、人は努めなければならぬ。自分の立てた目的が、そのとおりに実現されるのを見よ
(5)正しい教えを知らないで百年生きるよりも、正しい教えを聞いて一日生きる方がはるかにすぐれている。
(6)おのれを抑えることと、多くしゃべらずにじっと考えることは、あらゆる束縛を断ち切るはじめである。
(7)愚かな人は常に名誉と利益とに苦しむ。 上席を得たい、権利を得たい、利益を得たいと、常にこの欲のために苦しむ。
(8)怨みは怨みによって鎮まらない。怨みを忘れて、はじめて怨みは鎮まる。
(9)多く説くからとて、その故に彼が賢者なのではない。
こころおだやかに、怨むことなく、怖れることのない人、かれこそ「賢者」と呼ばれる。
(10)過去は追ってはならない、未来は待ってはならない。ただ現在の一瞬だけを、強く生きねばならない。
(11)何処で、誰から産まれたのかを問うのではなく、あなたが何をし、これから
どうしようとしているのかを、問いなさい
(12)実力もないのに、他人の批判ばかりをしてはならぬ
(13)快楽より悲しみが起こり、快楽より怖れが起こる。
快楽より解脱したる人間にとりては、もはや悲しみも怖れもなし
(14)教えればできるようになる。教わればできるようになる。というのは思いこみだ。
まして除霊・浄霊というのはどうだろうか。その魂が悟らなければならない。
(15)執着があれば、それに酔わされるのだ。それゆえに、ものの姿をよく見ることができない。
執着を離れると、ものの姿をよく知ることができる。だから執着を離れた心に、ものはかえって生きてくる
(16)飲み友達なるものがある。きみよ、きみよと呼びかけて、親友であると自称する。
しかし、事が生じたときに味方となってくれる人こそ、友だちなのである
(17)眠られない人に夜は長く、疲れた者に道は遠い。正しい教えを知らない人に、その迷いは長い。
(18)自分の心をよく観察して、貪欲と憂いを取り除きなさい
(19)例え『これは自分のものだ』このように思っても死ねば失う。『自分のもの』という幻想に負けてはいけない
(20)足りないものは、音をたてるが、満ち足りたものは静かである
(21)思いわずらうな。なるようにしかならんから、今をせつに生きよ
-ブッダ -
■ 許し許される人になろう
ある日ブッダの弟子が、ブッダに「同じように悪いことをしても、地獄に落ちる人と、そうでない人がいるのは、なぜですか」と尋ねたそうです。ブッダは、「手のひらいっぱいの塩を、茶碗の水に入れたらどうなるか」と問い返し、弟子は、「しょっぱくなります」というような返答をしました。
そう、その通り。では、その手のひらいっぱいの塩をガンジス川に投げ込んだら、ガンジス川の水は塩辛くなるだろうか?」 と、釈迦は尋ねた。「いいえ、そんなことはありません。ガンジス川の水はほとんど変わりません。」 と僧が答えると、釈迦は、これがヒントですよと答えた。
良いことをたくさんしている人は、多少悪いことをしたとしても、それが薄まるのですが、逆はそうはいきませんよね。この考え方は色々なことに通じる。
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自分が悪いことをしたということばかり責めていても、元気は出ない。
反省をちょっとして、いいことをどんどんしていくことに集中すればいい。
なるようにしかならん。今を大切に関わる人に優しくしていたい。
すべてに感謝。
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