自分はあまり人から厳しいことを言われない。
それが良いかどうかはわからないが、自分の周りの人々が忍耐強く、自分の所業について、スルーしてくださっているような気がする。
だが、息子は手厳しい。
彼のなかで、母である私は、自分の言うことを聴いてくれない人間というメガネがあるようで、言った言わないのやり取りがある。
口を開くとそういう不快な会話になるので、話したくない、そうだ。
私は息子が言ったという内容を確認しようと尋ねると、それが話を聴いていない証拠だという。
それでも、確認しないともっと不快になるので、確認する。
食事の用意はもうしなくていい。
油を使った料理は油っぽくて食べると具合が悪くなる。
それを言ってきたのに、ちっとも改善にならないから、食べない、という。
→私が作った料理で具合が悪くなったとは、記憶がなかった。肉を焼くのに、油を使わないでやればそれで解決になったのかもしれないが、もう、いらないというなら仕方ない。
今はバイト先で出る賄い食があるから、夜の食事はいらない。
→それはわかった。
朝ご飯や、バイトが無い時は自分で作る、という。
バイトを辞める9月からは自分で作る。
受験勉強に専念していくのに、体力気力がいる期間も私の助けはいらない、という。
自炊している学生たちに時々作って持っていくと、喜ぶメニューが油っぽくていやだと言う。
自分はほとんど油を使わないメニューのマクロビ食なので、どんどん料理メニューを忘れるので、たまのホームパーティや若者たちへの惣菜作りで、忘れないようにしている。
誰も私に厳しいことを言わないので、息子だけは私に傲慢にならないように、言ってきているのか、と受け止めることにした。
その後、元気を失くして、座禅を組んだ。
雑念が湧いて、涙が出る。
昼にそのような息子との会話で寂しい気持ちになった後、致知の雑誌で「辛いことも哀しいことも、意味があるから、良いことが起きると思って、感謝して前向きにいく」という記述に、心が救われた。
夕方にスタバに行き、好きな本を読んで、その物語に、母と息子の確執で、息子が母の元を出て6年も帰らず、やっと帰ってきてもまだその息子は母が嫌がることが分からず、その母から追い出された。その後、その母が危篤状態になって帰ると、最後に言葉を交わす際も、仲直りにならず、その翌朝母は逝く。
その息子が仕事に戻り、何年もかかって良いご縁に会って、その女性と郷里に帰ることになる。その際、その母の言っていたこと、母がその息子の幸せを想って、してきたことに気付く。そこでその息子が母の厳しくても強い愛を知る。
今の息子は、私が何を言っても受け付けない状態なのだろう。
それを受け入れようと思う。
ただ、親に対して、そこまで私は自分がしたかなあと思うくらい、無視されたり、一人で食事をするのが、寂しい。
だが、そういう時期なのだと受け止めることにした。
「高校時代から、あなたに何を言っても聞いてもらえず、あなたが良いと思うことをずっと我慢してきた」という。そんな不満があったとは、寝耳に水だった。
仕方ない。
息子は、私の元から独り立ちをする時期なのだ。
私も両親から18歳で出たのだ。
両親は大変な時期だったのに、自分の夢を追って上京した。
何があろうが、遅くても来年の春には、息子と別れて住むことに決意している。
その準備をしている。
だからこそ、話足りないことを伝えたい、私の手料理を食べてほしいと思うが、それが私の勝手な押しつけと思うのであれば、仕方ない。
ネットでの交流や、物理的に離れてみて、お互いの良さが気づけるのであれば、それでいいじゃないか、と思うようになった。
今は、私がイヤだと感じてしまうのだから、それをどうにもできない。
自然にまかせよう。
私は来年の準備のために、仕事と書きものを進める。
断捨離もどんどん進めて行こう。
こういう背中の押され方もあるのか、と今、これを書いて来て気づいた。
ありがたい。
すべてに感謝。
それが良いかどうかはわからないが、自分の周りの人々が忍耐強く、自分の所業について、スルーしてくださっているような気がする。
だが、息子は手厳しい。
彼のなかで、母である私は、自分の言うことを聴いてくれない人間というメガネがあるようで、言った言わないのやり取りがある。
口を開くとそういう不快な会話になるので、話したくない、そうだ。
私は息子が言ったという内容を確認しようと尋ねると、それが話を聴いていない証拠だという。
それでも、確認しないともっと不快になるので、確認する。
食事の用意はもうしなくていい。
油を使った料理は油っぽくて食べると具合が悪くなる。
それを言ってきたのに、ちっとも改善にならないから、食べない、という。
→私が作った料理で具合が悪くなったとは、記憶がなかった。肉を焼くのに、油を使わないでやればそれで解決になったのかもしれないが、もう、いらないというなら仕方ない。
今はバイト先で出る賄い食があるから、夜の食事はいらない。
→それはわかった。
朝ご飯や、バイトが無い時は自分で作る、という。
バイトを辞める9月からは自分で作る。
受験勉強に専念していくのに、体力気力がいる期間も私の助けはいらない、という。
自炊している学生たちに時々作って持っていくと、喜ぶメニューが油っぽくていやだと言う。
自分はほとんど油を使わないメニューのマクロビ食なので、どんどん料理メニューを忘れるので、たまのホームパーティや若者たちへの惣菜作りで、忘れないようにしている。
誰も私に厳しいことを言わないので、息子だけは私に傲慢にならないように、言ってきているのか、と受け止めることにした。
その後、元気を失くして、座禅を組んだ。
雑念が湧いて、涙が出る。
昼にそのような息子との会話で寂しい気持ちになった後、致知の雑誌で「辛いことも哀しいことも、意味があるから、良いことが起きると思って、感謝して前向きにいく」という記述に、心が救われた。
夕方にスタバに行き、好きな本を読んで、その物語に、母と息子の確執で、息子が母の元を出て6年も帰らず、やっと帰ってきてもまだその息子は母が嫌がることが分からず、その母から追い出された。その後、その母が危篤状態になって帰ると、最後に言葉を交わす際も、仲直りにならず、その翌朝母は逝く。
その息子が仕事に戻り、何年もかかって良いご縁に会って、その女性と郷里に帰ることになる。その際、その母の言っていたこと、母がその息子の幸せを想って、してきたことに気付く。そこでその息子が母の厳しくても強い愛を知る。
今の息子は、私が何を言っても受け付けない状態なのだろう。
それを受け入れようと思う。
ただ、親に対して、そこまで私は自分がしたかなあと思うくらい、無視されたり、一人で食事をするのが、寂しい。
だが、そういう時期なのだと受け止めることにした。
「高校時代から、あなたに何を言っても聞いてもらえず、あなたが良いと思うことをずっと我慢してきた」という。そんな不満があったとは、寝耳に水だった。
仕方ない。
息子は、私の元から独り立ちをする時期なのだ。
私も両親から18歳で出たのだ。
両親は大変な時期だったのに、自分の夢を追って上京した。
何があろうが、遅くても来年の春には、息子と別れて住むことに決意している。
その準備をしている。
だからこそ、話足りないことを伝えたい、私の手料理を食べてほしいと思うが、それが私の勝手な押しつけと思うのであれば、仕方ない。
ネットでの交流や、物理的に離れてみて、お互いの良さが気づけるのであれば、それでいいじゃないか、と思うようになった。
今は、私がイヤだと感じてしまうのだから、それをどうにもできない。
自然にまかせよう。
私は来年の準備のために、仕事と書きものを進める。
断捨離もどんどん進めて行こう。
こういう背中の押され方もあるのか、と今、これを書いて来て気づいた。
ありがたい。
すべてに感謝。
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