もう息子をかまうのはやめて、挨拶を最低限の会話をして、勉強や忘れ物の注意などは一切触れていない。
早朝から仕事を始め、夜の会議から10時半に帰宅。仕事に集中している。
息子用の夕飯は、ごはんとおかずのセットを用意して温めて食べるだけにしている。
手作りのケーキも冷蔵庫から取り出して、たくさん食べてあった。
一人で食べる個食は教育上良くないけれど、当分仕事優先でいこうと思う。
夜帰宅してから、息子のシャツをアイロンかける。
すると、息子は自分の食べた皿を洗っている。
「洗ってくれてありがとう」と伝える。
息子も昨日は私に言いすぎたというメッセージを、洗う後姿から読み取る。
成績のことは言うなよ、と言っているのに、2週間前の模擬試験の結果の通知を、これみよがしにソファに置いてある。ちら見すると、1番目の志望は、私が薦める近所の進学校で29%、2番目3番目の志望校は、98%の合格率で、4月の段階でここを希望するということは、受験勉強の挑戦枠ではない、ということだ、と私らしい強気を考える。
受験は自分への挑戦、冒険の意味もあるのではないかと思う。
受験勉強は自分を成長させる、社会に役立つ人間になるための、1つのツールだ。
息子はなぜ私がその進学校を薦めるかを受け入れない。
彼は100kmを歩いてゴールするという、意思が強い、まれに見る人間だと誇りに思っている。
自分の息子ながら、この目標達成能力はすごいと思っている。
だからそれを勉強やスポーツに活用したら、どんな高いハードルも越えられると、期待しているのだ。
でもそれがうざいらしい。そうだろう。
でも、今の社会を、困っている人たちを助けることが出来る人財だと思っているからこそ、このことをしつこいくらいに伝えてきた。
目標をもっていないから、勉強をやる気にならない、のだと思う。
母として、ちょっとそれがジレンマだったから、強い言葉で伝わっていたのかもしれない。
それは反省するからこそ、正義感の強い息子だから、気づいてくれると信じて見守るしかない。
これが今の私の忍耐。
そして、仕事に本気を出そう。
今年年初に立てたやること目標でまだ手をつけていないことをやる良いきっかけを息子にもらった。
息子を通して、背中を押してくれた神様仏様がいらっしゃるような気がしている。
自分のミッションを信じよう。
感謝
早朝から仕事を始め、夜の会議から10時半に帰宅。仕事に集中している。
息子用の夕飯は、ごはんとおかずのセットを用意して温めて食べるだけにしている。
手作りのケーキも冷蔵庫から取り出して、たくさん食べてあった。
一人で食べる個食は教育上良くないけれど、当分仕事優先でいこうと思う。
夜帰宅してから、息子のシャツをアイロンかける。
すると、息子は自分の食べた皿を洗っている。
「洗ってくれてありがとう」と伝える。
息子も昨日は私に言いすぎたというメッセージを、洗う後姿から読み取る。
成績のことは言うなよ、と言っているのに、2週間前の模擬試験の結果の通知を、これみよがしにソファに置いてある。ちら見すると、1番目の志望は、私が薦める近所の進学校で29%、2番目3番目の志望校は、98%の合格率で、4月の段階でここを希望するということは、受験勉強の挑戦枠ではない、ということだ、と私らしい強気を考える。
受験は自分への挑戦、冒険の意味もあるのではないかと思う。
受験勉強は自分を成長させる、社会に役立つ人間になるための、1つのツールだ。
息子はなぜ私がその進学校を薦めるかを受け入れない。
彼は100kmを歩いてゴールするという、意思が強い、まれに見る人間だと誇りに思っている。
自分の息子ながら、この目標達成能力はすごいと思っている。
だからそれを勉強やスポーツに活用したら、どんな高いハードルも越えられると、期待しているのだ。
でもそれがうざいらしい。そうだろう。
でも、今の社会を、困っている人たちを助けることが出来る人財だと思っているからこそ、このことをしつこいくらいに伝えてきた。
目標をもっていないから、勉強をやる気にならない、のだと思う。
母として、ちょっとそれがジレンマだったから、強い言葉で伝わっていたのかもしれない。
それは反省するからこそ、正義感の強い息子だから、気づいてくれると信じて見守るしかない。
これが今の私の忍耐。
そして、仕事に本気を出そう。
今年年初に立てたやること目標でまだ手をつけていないことをやる良いきっかけを息子にもらった。
息子を通して、背中を押してくれた神様仏様がいらっしゃるような気がしている。
自分のミッションを信じよう。
感謝
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