コロナ疲れに染みる「シェイクスピア」名言4選
河合 祥一郎 : 東京大学大学院 総合文化研究科 教授
1564年生まれのシェイクスピアも、生涯で3回、この感染症の流行を経験している。人口20万人だったロンドンで2万人が死んだ1593~1594年の流行の直後に、誰もが知る『ロミオとジュリエット』を発表した。
これも知らない者はいない『ハムレット』初演の数年後の1603年には、3万人のロンドン市民が亡くなり、絶望感に包まれたに違いない。「生きるべきか死ぬべきか……」というセリフから浮かび上がる「死」の恐怖は、限りなくリアルなものであった。
さらに『リア王』が上演された1606年には、劇場が4カ月間閉鎖。時代を超える名作は、苦難と絶望感の中で誕生したものだったのだ。
先が見えない不安から虚しさに襲われたら、現代よりはるかに絶望的な状況の中で、永遠に色あせない傑作を残し続けたシェイクスピアの言葉から、折れない心の育て方の秘訣を拙書『心を支えるシェイクスピアの言葉』より紹介する。
運命の波に飲み込まれないための名言
① 過酷な運命から逃げない
「人は熊から逃げるが、
行く手に荒れ狂う海が待ち受けるなら、
翻って熊の牙に立ち向かうだろう。」
『リア王』第3幕第4場
ブリテンの老王リアは、3人の娘に王国を分割して引退しようとする。長女と次女は父への愛を大仰に語るが、最愛の末娘は「何も言うことはない」と言い放ち、怒った王に勘当される。
長女と次女は、王国を譲られた途端、王に冷たく当たり、敬意も愛情もないことを暴露する。絶望の中で道化を連れて荒野をさまようリア王が、「逃れられない状況にあるなら、逃げないで戦うしかない」と言うセリフ。
娘2人に裏切られ、最愛の娘を勘当するという過ちをおかしたリア王を待ち受ける運命はあまりにも過酷。だが、とにかく逃げずに戦おうという姿勢からは、人間としての強さと誇りが伝わってくる。
② 生死は自分で決めるものではない
「辛抱が肝心だ。
この世を去るのは、生れ出てくるときと同じ。
そうなる時がやがてくる。」
『リア王』第5幕第2場
忠臣グロスター伯爵は、リア王の次女リーガンとその夫によって両目をくりぬかれたうえ、自身の庶子にだまされ、荒野に放り出される。あまりのことに「もう死んでしまいたい」と嘆く伯爵に、息子エドガーが言うセリフ。
生まれてくるのも死ぬのも運命であって、人間にその時を選ぶことはできないと諭す。
自粛生活に疲れ切った心に刺さる名言
③ モチベーションを上げるのが大切
「喜びのないところでは得るものはありません。
ですから、好きなものを勉強なさい。」
『じゃじゃ馬馴らし』第1幕第1場
富豪バプティスタの次女ビアンカは美女として名高く、多くの求婚者がいる。しかし、「じゃじゃ馬の長女キャサリーナが片付くまで、次女は結婚させない」と父は宣言している。そこへヴェローナの紳士ペトルーキオが登場し、キャサリーナをしとやかで従順な妻に育て上げる喜劇。
次女ビアンカに恋する青年ルーセンショーの従者である、トラーニオのセリフ。好きこそものの上手なれ。自身の情熱がなければ何ごとも成就しないということを肝に銘じていたい。
④ 時の流れに委ねてみる
「ああ、時よ、このもつれ、
ほぐすのはおまえ、私じゃない。
私には固すぎて、解きほぐそうにも、ほぐせない。」
『十二夜』第2幕第2場
イリリア公爵オーシーノはオリヴィア姫に恋をしているが、服喪中の姫は求婚を断る。一方、海難で生き別れになった双子の兄妹のうち、妹ヴァイオラは、男装して「シザーリオ」と名乗り、公爵に仕えるようになる。
公爵に信頼され、その恋の使いを託されたシザーリオは公爵に恋をしているが、皮肉なことにオリヴィア姫にほれられてしまい、それを拒む。全員が片思いという、虚しい恋の一方通行である。
そんな中、現れたヴァイオラの双子の兄のセバスチャンは、妹が扮するシザーリオに間違えられ、オリヴィア姫の愛を受け入れて結婚。最後に双子がそろうことで、すべての誤解が解け、公爵はヴァイオラと結ばれる。
あちらを立てればこちらが立たず……という煮詰まった状況の中で、ヴァイオラが行き着いた心境、自分ではどうすることもできないから、時に頼るしかないという、ある種の達観と言える。
今の世界の状況も同様で、コロナ感染から身を守るため、不要不急の外出を避け、マスク着用・うがい手洗いを励行しながら、感染の終息とワクチンの完成を待つ。そうして、時は効力を発揮し、光明が見えてきている段階だろう。
最後は、時が解決するって、なるようになるってことでしょうか。
すべて、そう思って、目の前のことを楽しんでいたらいいか。
すべてに感謝。
河合 祥一郎 : 東京大学大学院 総合文化研究科 教授
1564年生まれのシェイクスピアも、生涯で3回、この感染症の流行を経験している。人口20万人だったロンドンで2万人が死んだ1593~1594年の流行の直後に、誰もが知る『ロミオとジュリエット』を発表した。
これも知らない者はいない『ハムレット』初演の数年後の1603年には、3万人のロンドン市民が亡くなり、絶望感に包まれたに違いない。「生きるべきか死ぬべきか……」というセリフから浮かび上がる「死」の恐怖は、限りなくリアルなものであった。
さらに『リア王』が上演された1606年には、劇場が4カ月間閉鎖。時代を超える名作は、苦難と絶望感の中で誕生したものだったのだ。
先が見えない不安から虚しさに襲われたら、現代よりはるかに絶望的な状況の中で、永遠に色あせない傑作を残し続けたシェイクスピアの言葉から、折れない心の育て方の秘訣を拙書『心を支えるシェイクスピアの言葉』より紹介する。
運命の波に飲み込まれないための名言
① 過酷な運命から逃げない
「人は熊から逃げるが、
行く手に荒れ狂う海が待ち受けるなら、
翻って熊の牙に立ち向かうだろう。」
『リア王』第3幕第4場
ブリテンの老王リアは、3人の娘に王国を分割して引退しようとする。長女と次女は父への愛を大仰に語るが、最愛の末娘は「何も言うことはない」と言い放ち、怒った王に勘当される。
長女と次女は、王国を譲られた途端、王に冷たく当たり、敬意も愛情もないことを暴露する。絶望の中で道化を連れて荒野をさまようリア王が、「逃れられない状況にあるなら、逃げないで戦うしかない」と言うセリフ。
娘2人に裏切られ、最愛の娘を勘当するという過ちをおかしたリア王を待ち受ける運命はあまりにも過酷。だが、とにかく逃げずに戦おうという姿勢からは、人間としての強さと誇りが伝わってくる。
② 生死は自分で決めるものではない
「辛抱が肝心だ。
この世を去るのは、生れ出てくるときと同じ。
そうなる時がやがてくる。」
『リア王』第5幕第2場
忠臣グロスター伯爵は、リア王の次女リーガンとその夫によって両目をくりぬかれたうえ、自身の庶子にだまされ、荒野に放り出される。あまりのことに「もう死んでしまいたい」と嘆く伯爵に、息子エドガーが言うセリフ。
生まれてくるのも死ぬのも運命であって、人間にその時を選ぶことはできないと諭す。
自粛生活に疲れ切った心に刺さる名言
③ モチベーションを上げるのが大切
「喜びのないところでは得るものはありません。
ですから、好きなものを勉強なさい。」
『じゃじゃ馬馴らし』第1幕第1場
富豪バプティスタの次女ビアンカは美女として名高く、多くの求婚者がいる。しかし、「じゃじゃ馬の長女キャサリーナが片付くまで、次女は結婚させない」と父は宣言している。そこへヴェローナの紳士ペトルーキオが登場し、キャサリーナをしとやかで従順な妻に育て上げる喜劇。
次女ビアンカに恋する青年ルーセンショーの従者である、トラーニオのセリフ。好きこそものの上手なれ。自身の情熱がなければ何ごとも成就しないということを肝に銘じていたい。
④ 時の流れに委ねてみる
「ああ、時よ、このもつれ、
ほぐすのはおまえ、私じゃない。
私には固すぎて、解きほぐそうにも、ほぐせない。」
『十二夜』第2幕第2場
イリリア公爵オーシーノはオリヴィア姫に恋をしているが、服喪中の姫は求婚を断る。一方、海難で生き別れになった双子の兄妹のうち、妹ヴァイオラは、男装して「シザーリオ」と名乗り、公爵に仕えるようになる。
公爵に信頼され、その恋の使いを託されたシザーリオは公爵に恋をしているが、皮肉なことにオリヴィア姫にほれられてしまい、それを拒む。全員が片思いという、虚しい恋の一方通行である。
そんな中、現れたヴァイオラの双子の兄のセバスチャンは、妹が扮するシザーリオに間違えられ、オリヴィア姫の愛を受け入れて結婚。最後に双子がそろうことで、すべての誤解が解け、公爵はヴァイオラと結ばれる。
あちらを立てればこちらが立たず……という煮詰まった状況の中で、ヴァイオラが行き着いた心境、自分ではどうすることもできないから、時に頼るしかないという、ある種の達観と言える。
今の世界の状況も同様で、コロナ感染から身を守るため、不要不急の外出を避け、マスク着用・うがい手洗いを励行しながら、感染の終息とワクチンの完成を待つ。そうして、時は効力を発揮し、光明が見えてきている段階だろう。
最後は、時が解決するって、なるようになるってことでしょうか。
すべて、そう思って、目の前のことを楽しんでいたらいいか。
すべてに感謝。
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