ありがとうのブログ

毎日、家族や仕事関係の人たちとのふれあいで感謝していることをつづります。

断食明け3日目

2018年02月27日 16時21分58秒 | Weblog
断食明けの1日目のあの食欲は、空腹を満たす欲求そのもので、とにかく食べていいものを口にしたい気持ちが強かった。
断食明けの腸は、腸壁が磨かれ老廃物が少なくなっている状態になっているので、食べてよくないものが多い。

たとえば、掃除をしたての床に、油性のクレヨンや、脂ぎったたれがかかった焼肉、甘い蜜などを落としたら、せっかく掃除した床がもったいない。

何のために老廃物を取り除いたのか。
腸をよくするためだから、綺麗になったばっかりの腸に、上記の食べてはいけないものを入れたら、浸透度も強いので、体によくない。

でもいつまでも何も食べられないわけではなく、たわしで磨いたばかりの腸壁は、敏感なので、そばや無農薬の野菜、みそなど食べて安心なもので、磨いたばかりの場所が柔らかく慣らされたら、普通食にしていい、ということ。

それはすべて自己責任で行う。
指導はするが、誘惑に負けて、アルコール、たばこ、焼肉を食べて、体調をおかしくしても、断食を主催した側は、どうにもできない。

これらを食べたらよくないと明言して注意勧告をしている。

それでも、意識が薄くて、「つい、食べてしまった、勧められるままにビールを飲んでしまった、どうしよう~!」
という電話がたまに主催者に来るそうだ。
でも、食べた、飲んだという、もうしてしまったことに対して、どうしようもない。
主催者側は、自分の命のためにも、だめと言われた食事を食べていないので、どんな症状が出るかわからないし、個人差もあるだろう。

自分は、そういう相談が来たら、「自己責任です」と突き放す。

だめだと言われたことをやってしまって、命がどうなるのかわからない、ということに対して、どんな手を打てるだろうか。

今回の断食合宿で宿泊の同じ部屋で、不安症の方が二人いて、そういう心配を延々と話している。
最初に、いけない食べものを避けて注意を守れば大丈夫です、と伝えているにも関わらず、馬に念仏で、ずっと同じ不安を話し合っているので、別の休憩室で休んで二人の話から遠ざかっていた。

こういうこともある。

でも、本人たちにしてみれば、不安でいっぱいなのだろう。
普段の生活も、そうやって新しい試みに対して、不安を先に見つけてくる人生なら、疲れるだろうなあと学んだ。
自分は何をするにしても、得るもの、失うものを覚悟して、なんでもやりたいことを挑戦してきた。

そういう意味で、何を初めてするにしても、怖がっていても仕方がない、ということを再確認した。

学ばせてくれてありがとうございます。

すべてに感謝。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿