父と母は、今朝からそれぞれ落ち着かない行動をしていました。
父は、朝起きるのに、抵抗をしていたし、母もなんとなく、最期の食事を一緒にとるような感じで、神妙な口調で、「こうやって食べるのも最後かな」と言っておりました。
それでも認知症ゆえ、何度もどこに行くのかと聞いていました。
午前中から、布団や衣類の引越しの準備をしているところに、母は何をしているのか、ずっと聞いていました。
別れのセレモニーですね。
昼食に両親の好きなお寿司でしばしのお別れの食膳となりました。
父の好きな数の子も食べてもらって、静かな昼食でした。
私としては、今宵の別れではないのだから、いつでも会いに行くし、好きなものも買っていくからと父に伝えると、安心した笑顔を見たのが、自分として安心した。
母も、正月明けにクッキーを焼いたら持っていこうと思っている。
普段は面倒を見られないけれども、仕事を機動に載せながら、両親に喜んでもらうことはこれからも続けていきたいと考えている。
何事も今起きていることは無駄ではなく、意味があることだと考える。
今晩の夕食は、息子と二人で食べる勇気が少なかったので、友人に来てもらう。
酔っ払いました。
でも何か起きたのだということで、友人が子供を置いて駆けつけて一緒にビールを飲んでくれたことに感謝しています。
あー本当に感謝。
父は、朝起きるのに、抵抗をしていたし、母もなんとなく、最期の食事を一緒にとるような感じで、神妙な口調で、「こうやって食べるのも最後かな」と言っておりました。
それでも認知症ゆえ、何度もどこに行くのかと聞いていました。
午前中から、布団や衣類の引越しの準備をしているところに、母は何をしているのか、ずっと聞いていました。
別れのセレモニーですね。
昼食に両親の好きなお寿司でしばしのお別れの食膳となりました。
父の好きな数の子も食べてもらって、静かな昼食でした。
私としては、今宵の別れではないのだから、いつでも会いに行くし、好きなものも買っていくからと父に伝えると、安心した笑顔を見たのが、自分として安心した。
母も、正月明けにクッキーを焼いたら持っていこうと思っている。
普段は面倒を見られないけれども、仕事を機動に載せながら、両親に喜んでもらうことはこれからも続けていきたいと考えている。
何事も今起きていることは無駄ではなく、意味があることだと考える。
今晩の夕食は、息子と二人で食べる勇気が少なかったので、友人に来てもらう。
酔っ払いました。
でも何か起きたのだということで、友人が子供を置いて駆けつけて一緒にビールを飲んでくれたことに感謝しています。
あー本当に感謝。
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