予定では、今日は部屋の片付けを済ませるつもりだった。
両親のとりあえずの荷物を運んだ、部屋を見ると、何だか力が出なくて、居間のホットカーペットの上で横になったまま、身体が動かない。
息子がお腹が空いたと言って来ても、母が役に立つことがなさそうなので、自分でスパゲッティをゆでて、ソースをかけて食べていた。
午後2時過ぎにやっと自分でもふんぎりがついたのか、少し食事をして、両親が使っていた部屋だけでもと思って、片付け、整理する。
両親へのありがとうの気持ちは、今でも変わらない。離れて暮らしていても、それが源だ。
感慨深く整理をしていると、友人のお父様が亡くなって、お通夜の連絡が入った。
こちらの慶事には、明るくなくこれまでほとんど失礼してきたが、その友人はケアマネジャーが同じ人ということもあって、夕方初めてお参りしてきた。
お父様は認知と難聴と癌を併発されて、手遅れ状態だと病院で診察されて、ホスピスに入院されて1ヶ月後、お亡くなりになったのだった。
友人は、自宅で会社に勤めながら、姪っ子さんと協力し合って介護していたのだったが、素人には老人介護の限界があるという現実を見た。
今回、私のような心身共に余裕がない生活を送るものが、自滅も含めて両親のそのような状況の予測を発見できるか、というと自信が無いのだ。
介護は気持ちだけで出来るようで、できない部分が多いなあと思う。
その内容は、このブログで少しずつ語ろうと思う。
このような考える場を機会を与えてくれたことに感謝。
両親のとりあえずの荷物を運んだ、部屋を見ると、何だか力が出なくて、居間のホットカーペットの上で横になったまま、身体が動かない。
息子がお腹が空いたと言って来ても、母が役に立つことがなさそうなので、自分でスパゲッティをゆでて、ソースをかけて食べていた。
午後2時過ぎにやっと自分でもふんぎりがついたのか、少し食事をして、両親が使っていた部屋だけでもと思って、片付け、整理する。
両親へのありがとうの気持ちは、今でも変わらない。離れて暮らしていても、それが源だ。
感慨深く整理をしていると、友人のお父様が亡くなって、お通夜の連絡が入った。
こちらの慶事には、明るくなくこれまでほとんど失礼してきたが、その友人はケアマネジャーが同じ人ということもあって、夕方初めてお参りしてきた。
お父様は認知と難聴と癌を併発されて、手遅れ状態だと病院で診察されて、ホスピスに入院されて1ヶ月後、お亡くなりになったのだった。
友人は、自宅で会社に勤めながら、姪っ子さんと協力し合って介護していたのだったが、素人には老人介護の限界があるという現実を見た。
今回、私のような心身共に余裕がない生活を送るものが、自滅も含めて両親のそのような状況の予測を発見できるか、というと自信が無いのだ。
介護は気持ちだけで出来るようで、できない部分が多いなあと思う。
その内容は、このブログで少しずつ語ろうと思う。
このような考える場を機会を与えてくれたことに感謝。
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