実は、私はTVゲームソフトのシナリオ制作をした経験があり、ゲーム制作サイド側の人間だ。
インターネットゲームも企画制作し、ゲーム業界にどっぷり浸かっていた経緯がある。その人間が母となって、自分の息子がゲームにはまって、大事な脳を冒されたくない、というジレンマに陥っているのだ。これは正直な告白だ。
私は、ゲーム自体に触れたのは、仕事だからだ。学生時代は、お金がもったいないのと興味が無かったので、一切やらなかったくらい、堅物なのだ。
しかし、出版系からソフト制作のプロダクションに転職してから、初めてゲームを始めたのだ。他の先輩や後輩たちと比べて、ゲームの知識や経験、テクニックは全く相手にならず、テーブルタイプからヨチヨチとプレイをし、易しいシューティングやアクションをして、ゲームソフト会社の広報担当者に取材をし、記事を書いた。用語なども、ゲーム雑誌を読み、先輩たちから教わって使うようになった。
仕事で毎日ゲームをするようになって、2年。ゲーム関連のソフト企画を提案するようになり、上司が接待などで退社する午後7時から、終電までほとんど毎日、ゲームをクリアする楽しみを見出そうとする残業というか、意地を張ってやり続けていた。
その後、ゲームの移植、インターネットゲームの企画など、ゲーム制作に携わるようになっている。
しかし、子供が生まれてからしばらくは携帯機器ゲームもやったが、子供には良くないなあと思って、やらなくなった。
息子は、何をやらせても夢中になったら、他に何も見えなくなる、聞こえなくなるタイプ。保育園時代、公園で虫の動きを夢中になって凝視している息子に、保育士が「お散歩を終えて、園に帰るよ」と声をかけても、ビクともしないでずっと虫を凝視しているので、その保育士は耳が聞こえないのかもと私に緊急連絡があった。
私は、仕事を早めに切り上げ、急いで耳鼻科の医者に診せて検査をしたら、大丈夫で、その際に、夢中になったから聞こえなかったか、聞こえないふりをした、くらいの返事を医者に答えて、私はずっこけたのだった。
それ以来、息子は何かに夢中になると、全てを止めてまで追求するタイプと判断し、ゲームを封印しようと決断したのだった。
学習にも役立つかと、さいころを振って駒を進める桃太郎電鉄シリーズを正月はやるようにしていたのだが、ゲーム慣れをしている私のほうが強いので、息子は、怒ってしまって一緒にやらなくなった。負けず嫌いなところは、私にそっくりなので、勝つまでゲームをやり続けるだろうから、結局は眠らない日々を送るということだ。
ここまで禁止しても、いつかは部屋に籠って自分でやるだろうと思うが、それでもそれが遅ければ遅いほどいいと思っている。
ちゃんと自分の目標に向かってやることをやっているなら、余暇にゲームをしても良いのだというコアな主義は、ゆずれない。
ゲームはプレイヤーに面白いように制作している、と思うからこそ、息子には、それにはまってどうにもならなくなるような人間にはなってほしくない、という母の勝手な愛情なのだ。
母の孤独な闘いは今日も続く。
感謝
インターネットゲームも企画制作し、ゲーム業界にどっぷり浸かっていた経緯がある。その人間が母となって、自分の息子がゲームにはまって、大事な脳を冒されたくない、というジレンマに陥っているのだ。これは正直な告白だ。
私は、ゲーム自体に触れたのは、仕事だからだ。学生時代は、お金がもったいないのと興味が無かったので、一切やらなかったくらい、堅物なのだ。
しかし、出版系からソフト制作のプロダクションに転職してから、初めてゲームを始めたのだ。他の先輩や後輩たちと比べて、ゲームの知識や経験、テクニックは全く相手にならず、テーブルタイプからヨチヨチとプレイをし、易しいシューティングやアクションをして、ゲームソフト会社の広報担当者に取材をし、記事を書いた。用語なども、ゲーム雑誌を読み、先輩たちから教わって使うようになった。
仕事で毎日ゲームをするようになって、2年。ゲーム関連のソフト企画を提案するようになり、上司が接待などで退社する午後7時から、終電までほとんど毎日、ゲームをクリアする楽しみを見出そうとする残業というか、意地を張ってやり続けていた。
その後、ゲームの移植、インターネットゲームの企画など、ゲーム制作に携わるようになっている。
しかし、子供が生まれてからしばらくは携帯機器ゲームもやったが、子供には良くないなあと思って、やらなくなった。
息子は、何をやらせても夢中になったら、他に何も見えなくなる、聞こえなくなるタイプ。保育園時代、公園で虫の動きを夢中になって凝視している息子に、保育士が「お散歩を終えて、園に帰るよ」と声をかけても、ビクともしないでずっと虫を凝視しているので、その保育士は耳が聞こえないのかもと私に緊急連絡があった。
私は、仕事を早めに切り上げ、急いで耳鼻科の医者に診せて検査をしたら、大丈夫で、その際に、夢中になったから聞こえなかったか、聞こえないふりをした、くらいの返事を医者に答えて、私はずっこけたのだった。
それ以来、息子は何かに夢中になると、全てを止めてまで追求するタイプと判断し、ゲームを封印しようと決断したのだった。
学習にも役立つかと、さいころを振って駒を進める桃太郎電鉄シリーズを正月はやるようにしていたのだが、ゲーム慣れをしている私のほうが強いので、息子は、怒ってしまって一緒にやらなくなった。負けず嫌いなところは、私にそっくりなので、勝つまでゲームをやり続けるだろうから、結局は眠らない日々を送るということだ。
ここまで禁止しても、いつかは部屋に籠って自分でやるだろうと思うが、それでもそれが遅ければ遅いほどいいと思っている。
ちゃんと自分の目標に向かってやることをやっているなら、余暇にゲームをしても良いのだというコアな主義は、ゆずれない。
ゲームはプレイヤーに面白いように制作している、と思うからこそ、息子には、それにはまってどうにもならなくなるような人間にはなってほしくない、という母の勝手な愛情なのだ。
母の孤独な闘いは今日も続く。
感謝
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます