ありがとうのブログ

毎日、家族や仕事関係の人たちとのふれあいで感謝していることをつづります。

乱れた言葉に心を痛める

2009年11月19日 10時41分03秒 | Weblog
「うざい」「うっせー」「死ね」など、人を傷つけるような言葉をイライラした様子で子供たちが言い合って喧嘩する。
自分の思い通りにいかないと、そんな言葉を吐いて、うさをはらす。

私が小さいときも、人を傷つけるような言葉は、あった。しかし、それを言ってもなんだかすっとしない、モヤモヤ感はずっと残っていたような記憶がある。

息子の友達がたまに遊びに来て、携帯ゲーム機をもってきて、自分の思うようにいかないと、上記の言葉を言う。すると、私は「そんな言葉を使ったらだめだよ」と伝える。

言葉で大きな影響を受ける。
優しい言葉があふれる中にいると、心がおだやかになる。
人を刺すような非難の言葉ばかりの中にいると、心に棘がさしたように、乱れてくる。
自分も経験あるが、息子を叱ってばかりの日々、尚更息子は心を閉ざす。
そうかと言って、叱ることをしているのに、ほめるということは、心情的に厳しい。そういうときは、なぜ息子の態度が良くないかを伝える。反応が無くとも、社会へ出す人間として、マナーや礼儀、善悪を嫌がられても、伝える。

息子は自分でもわかっているのだ。なぜこんなにイライラするのかわからないということを。自分の思うとおりにならないことは、全て母である私が悪いせいにするのは、なんだかおかしいと。それでも感情のおもむくままに、私に不機嫌をぶつけてくる。

自分も思春期にそんな時代を通り抜けたのだ。代々、大人はみな、そこを通ってきたのだ。そして同じことを自分の子供たちやずいぶん年下の部下にやられて傷ついて、自分の未熟だったことを知って、それを受け止める。

その時に、子供のときに、感情をぶつけることをせず、ずっと良い子でいた方は、苦労されるだろう。自分は我慢したのだから、その子やその部下も我慢せよと押し付けるか、なぜ我慢できないのだと許せない感情を抱くかもしれない。

言葉を仕事として扱う自分だから、敏感かもしれない。

いいのだ。自分がやってきたことをされても、大人として注意をして、見守るしかない。
感謝


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