自衛権行使に砂川事件を持ち出し、引用したことを思いだしました。
砂川事件は1955年~57年にかけて、米軍立川基地の拡張をめぐって、
地元砂川町の住民、支援の労働組合員、学生らと、
警官隊との衝突で起きた流血事件です。
裁判において、日米安全保障条約の違憲性が争われました。
一審判決は立川飛行場に乱入し、刑事特別法違反に問われた、
基地反対派に無罪判決を下しました。
「駐留米軍は憲法9条の定める戦力不保持に違反する」と判決されました。
日本政府は最高裁で決着をつける「跳躍上告」に打ってでました。
跳躍上告とは、一審において違憲判決の場合、控訴を省略して最高裁に上告することです。
一般の裁判では考えられないことです。
政府には焦る理由がありました。
判決を聞いた、当時の駐日米大使のマッカーサーが仰天したらしいです。
政府に圧力をかけて、跳躍上告を支持しました。
いわゆる、「米国の内政干渉」があったということです。
最高裁は「自国の存立を全うするため、必要な自衛のための措置を国家固有の権能の行使」
と判決は一変して、米軍の都合に合わせた判例を生んでしまいました。
米軍に脅されて、「違憲」を「合憲」に変えさせられた違法判決です。
その、判例を持ち出し自衛権行使が憲法に違反しないと引用しています。
政府は自分たちの都合のいい解釈に便乗して国民をだまそうとしています。
これが、まともな主権国家の行動とは世界の学者から見ればまことに幼稚でしょうね。
独立国としての、自覚と自尊心がおおいに欠損した「欠陥内閣」を暴露しています。
砂川判決は米国に介入を許したことにより、最高裁が下した「違法性」が存在します。
そんな判例を持ち出すのは、無神経で憲法の存在を認めない姿勢の現われです。
あくまでも、「米国追従」の姿勢を拡大しようとしています。
米国の子分だと諸外国から決定的な見方をされることになります。
自国を守るには、国民であって「戦争オタク」の政治家ではありません。
馬鹿にするのも、いいかげんにしてください。
首相の「コピーペー発言」を見れば分かります。
日頃から平和認識があれば、秘書が書いた原稿など必要ありません。
日頃、考えていることを語りかけるように話せば良いと思います。
その方が人間味があって、聞く人たちも平和をお互いに確認できると思います。
明らかに、私たちは、「幼稚な内閣」に翻弄されています。
私たちの常識の知恵で国のあり方を考えましょう。
これ以上、私たちの意志と名誉を破壊させるのは、断じて許してはいけません。
覚えているでしょうか。
イラクで人質になった高遠菜穂子さん。
いまも、イラクで復興に尽力をつくしています。
日本人には慈愛に満ちた勇者が世界中で平和活動や人道支援に貢献しています。
これは仏教を厚く信仰する国民性ではないでしょうか。
お釈迦様も「武力は人を不幸に導く」と説かれています。
集団的自衛権は人類の戦争を肯定する行為です。
人の手は武器を握らず「自他の幸福」を願い手を合わせることです。
そして、世界共通の信頼と友好を確認する握手こそ本来の人の手です。
武器を握らず、転んだ人に手を差し伸べて起こしてあげることこそが、大切ではないでしょうか。