横山政昭の幸せと自由が欲しいです。

施設で生活しています。皆さんに生かされています。思ったこと投稿します。宜しくお願いします。


   

私は、安楽死を望みます。

2014年08月19日 | 久遠の命。

日本は、戦後生まれの世代、高齢化社会に直面しています。

日本はすでに多死社会を迎えようとしています。

年間の死亡者数は1970年代の70万人前後から、現在は126万人と増えています。

2040年には、167万人と推計されています。出生率のおよそ2.5倍に相当します。

かっては、自然災害、戦争、疫病、飢えなどにより死亡するのが当然のような時代でした。

人生を不本意に終わらせられる、やむを得ない時代だったんでしょうね。

子供たちの死亡率が高く、天寿を終えるのは、とても難しいことだったと聞きます。

貧しい国では、この現象がまだ維持されています。

解決するには、戦争をやめ、医療と衣食住を確保することです。

日本では、医療の進歩や栄養の確保により、人の寿命が延びています。

しかし、認知症を含む慢性疾患を抱え、衰えていく心身と折り合いながら生きています。

どう生きるか、どう死ぬかの考える時間が長くなりました。

死に関しては、誰もが意識して少なからず、恐怖は抱いているでしょう。

いつ死ぬか、誰もが知りたいと思います。

癌などの病気を患えば、死期が近いと自ら自覚できます。

戦争にかり出されば、死ぬ確率が高くなったことを認識します。

災害による死は検討づかずで、危ういと感じます。

死刑囚は、死は確定していて、執行のときを恐怖を抱きながら待つだけです。

多岐にわたり、死に関する認識と認知が異なります。

しかし、死にたくない、それが基本ではないでしょうか。

重度の病気を患い入院したとします。

寝たきりの生活が長くなると、もう生きていたくない

家族に迷惑をかけたくない

いっそう、死んだほうがいい

などと考える人も多いと思います。

その時に、効力を発揮するのが、「安楽死」です。

海外では、安楽死を合法とする国が増えています。

個人の意思が明白で、家族の了承があれば、様々な方法を提示してくれます。

致死量の睡眠導入薬を処方してもらい、自分で決めた時間に死を迎える方法もあります。

しかし、この様な行為は、自殺幇助と指摘する人もいます。

死にたくても、死ねない」そんな人が沢山いると思います。

日本でも、安楽死については、議論が分散しています。

生と死」深くて、とても大切な問題です。

私は現在、下肢全廃で上肢はかろうじて機能を維持しています。

しかし、私の病気は進行性で全廃は時間の問題です。

いまも体の痛みは、日常的です。

将来は、呼吸器を使用しての生活を覚悟しています。

そんな状態で生きることは、望みまません。

我ままな考えですが、それが本音です。

今は、少しでもやりたいことが出来ます。

出来なくなった自分の身を考えると耐えられません。

私は仏教を信仰しています。

自殺はけして仏界では、認められません。

しかし、自らの命を医師と相談できて、法律の下で終えるなら成仏と考えます。

消極的な考えですが、有効的な行動と判断します。

臓器提供(すべて)に登録しています。

私の死により、誰かの人生の手助けになるかもしれません。

これは、仏教の教え「布施」の精神を大切にしています。

とにかく、頑張ります。

限界まで頑張って私の意志を尊重してくれる、そんな世になれば幸せです。

両親は健在です。

親より早く死ぬのは、不本意です。

両親が死ねば、私には身寄りがありません。

無縁仏ですね。

それでも仏は仏、いいと思います。

ただ残念なのは、元気な若者の自殺です。

様々な理由や悩みがあると思います。

できれば死なないでください。

私も幾度無く自殺行為をしました。

しかし、死にませんでした。

人には生きている意味があります。

どうせ死ぬなら自分の力を発揮してください。

必死」必ず死ぬと書きます。

あせらずとも、必ず死にます。

もう頑張ったからいいや

そう、自尊しての死を迎えてください。

そうすれば、必ず来世へと命は飛躍します。

お互い頑張って、充実した死を迎えましょうね。

それが、久遠のいのちです。