人間が生きる上で「敵」とは無縁ではありえません。
学校でも職場でも、ライバル、好適手といった存在は不可欠です。
しかし、その人たちに憎しみや恨みを抱いてはいけないと思います。
そうすれば「心の自由」が失われることに成ります。
もし日本が米国と共謀して他国と紛争すれば相手国は「敵」と成ります。
紛争が軍事行動で解決すればそれは「成功」に成ります。
しかし「失敗」すれば「敵」の状態で報復を警戒することに成ります。
いつも恐怖と警戒心に支配されて「心」は自由を奪われることに成ります。
自由を奪われた「心」は変貌して「悪の心」に進化します。
互いに傷つけ合う結果を招くのではと心配です。
米国のように個人に銃が必要な国に成るのでしょうか。
日本にはすべての人に「仏」が宿っている仏教の思想があります。
その思想が、敵と見方の違いを穏やかにしてきました。
大河ドラマで軍師「黒田官兵衛」が放映されています。
官兵衛は「対話戦略」で戦を解決することを基本にしています。
いわゆる死者のでない戦ですね。
敵の「民」も見方の「民」も大切に思う官兵衛の優しさが窺えます。
それに比べると信長流は実に損をしたと思います。
人々に恨みをかう行動をとってしまいました。
そして家臣の明智光秀に殺されてしまいました。
徳川家康は戦が終わってからは敵の家臣を召抱えたと聞きます。
本当に人の恨みは怖いですね。
今の日本では敵を想定して「集団的自衛権の行使」が設定されています。
戦国時代のような敵との戦い方、付き合い方が忘れられています。
敵への「包容力」が自国を強くする意識を持つのが大切だと思います。
今、国会で討論されています。
非常に分りづらいですね。
結論は「戦う」ですね。
しかも日本に直接被害がなくても「可能性」だけで戦地に出向くんですね。
「火に油を注ぐ」ことわざどうり炎上しなければいいのですが・・・・
「許しなさい。許さないと、あなたはずっと相手の支配下にあります」
ヨハネ・パウロ二世の言葉です。
日本も見ない敵に支配されるそんなの嫌です。
いまも未来も「安心な日本」そうあってほしいです。
ケンカは良くないですね!
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