自由人?

自分なりの自由な生き方を模索できているだろうか?

風評被害は無くなった?

2015年04月15日 | 雑感


昨日関西電力高浜原発の再稼働が仮差し止めになった。
賢明なる判断だと思う。

2011年3月11日に発生した東日本大震災からすでに4年が過ぎた。
東京電力福島第1原発の事故災害の後遺症は
今も尚、これから先も気の遠くなるほどの歳月の間続いて止まない。

人命のみならず、幾多の資源が失われ、関わりのある方はもとより、
日本人全体、いや世界の人々も巻き込み、
計り知れない悲しみと絶望の深淵に追いやった。

今、復旧・復興に向け様々な取り組みが行われているが、
旧に復するのはいつの日のことか?

原発がまき散らした放射性物質の脅威は生半可ではない。
特定の地域では、日常の生活に直結する魚や、米、野菜などの一次産品は、
放射性物質に汚染され、人体への影響が懸念された。

原発被害にあった地域の産品は汚染され食すると危険だ。

セシウム等が増加し食するに適さないものはともかく、
放射性物質の含有量が基準値以下であってもその産地で敬遠されたり、
ともかく食品は手痛い打撃を受けた。

当時風評被害がはなはだしく、あまたの品々が影響を受けた。
今は少なくとも表面上は鎮静化したかのようだが、
どっこい、いまだ人々の心の底には泥土のようにしっかり張り付いている。

我が家も自分達だけの場合はあまり気にはしないようにしているが、
ついつい産地を選ぶ。
その地域の方にはまことに申し訳ないが、他の産地の物がなければ手にする有様である。
ましてや孫たちの食事に出す場合は絶対に避けるのが常となった。

大げさ、風評被害と言うなかれ。
許してほしい。これが真実の姿だ。
それとも私たちだけが、異常に過敏反応しているのだろうか?

今だ放射性物質に汚染された汚染水の垂れ流し報道が紙面を賑わしたり、
廃棄物の処理もままならない現状を見るにつけ、東電に対する不信、
いや原子力に対する不信はいまだ拭い去れない。

残念ながら風評被害はいまだ人々の心の底にしっかりと根付いている。
いつの日か晴れ晴れと忘れ去る日がくるのかどうか?
はなはだ覚つかないが、その前にわが身の終焉を迎えるのだろうか?
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