1900年代の後半、高度成長期に多くの巨大ニュータウンが建設された。
わが団地は某ニュータウンの一角にあるが、
建設されたのはかなり遅く1980年代の前半である。
すでに29年を迎えようとしている。
周りの景観は数年前まではほとんど変化がなく
見晴らしのよい高台(昔は山だが)にあり、ベランダから富士山も眺められた。
3年ほど前から近隣にマンションが建ち、
突如商業施設の建設予定地にも高齢者用のケア施設が建設された。
やんぬるかな、ついには視界も遮られ、富士山ともおさらばする羽目と相成った。
最近富に高齢者が出歩く姿を目にする。やたら多い。
わがマンションも高齢者の数では負けていないが、
巣鴨の”おばあちゃんの原宿”を思い起こさせる趣である。
もっともさほど賑わってるわけでないのが、一抹の侘しさを感じさせる。
何も高齢者が大勢いるところに新たに呼び込んで
高齢化に拍車をかけることもあるまいに。。。と思うが。
楢山節考にもあるとおり、昔60歳を過ぎると姥捨て山に置き去りにされたという。
フィクションの世界ならばともかく、さすがに倫理的にも人道的にも許されることではない。
で、現在は高齢者を一箇所に集め、効率よく対処できる方法を考え出した。
ニュータウンの高齢化に乗じて新たな高齢者を集め、
旧来のニュータウンを衣替えしてニュータウンとして蘇らせる術である。
かくしてあちらこちらに今時のニュータウンが出現しつつある。
いや、姥捨てタウンというべきか?
先住民としては、お仲間が増えるのは有難いが、
もう少し若い方を呼び込む手立てを講じてもらえないものかと案じている。
複雑な心境である。