幸福の芽 happy sprout みろく maitri Ⅱ

《心の時代へのパラダイムシフト》自分の心をつかんで幸せになりませんか。幸福の芽を探して一歩前に出てみませんか。

Real of Golgotha ゴルゴタの真実

2014-04-22 23:33:00 | みろく神示
Real of Golgotha

 ユダヤ教 Judaismのメシアと言われた Jesus Christ。

 その教えはユダヤ教より個人的な悟り、社会的な価値観の面でも
高い思想でした。
神がおられること、隣人への愛の教え、人はその生まれによって
差別されるものではないこと、愛によって社会を形成すること。

 宗教としてのパラダイムシフトとしては個人の戒律を
基礎に社会の形成をし、そして社会、人類への愛の思想への
シフトアップです。

 それ故にユダヤ教の神官たちはその教えの内容については
認めざるを得ないものでした。
彼らの神性が大きく揺さぶられ、そして自らの身の置き所が
崩れていくことを恐れました。
まただからこそJesusに嫉妬もしました。
そしてその存在さえ無くなれば自らがまた高みに上がれるとも
考えました。

 権威が絶対の社会で権威の外でメシアが法を説く時、
為政者や多くの権威者は自らの身の置き所がどうなるのか、
右往左往しました。

 その教えが広まるにつれ、その法が我が物になれば自分が
メシアになれる、自分では生み出した法では無いが、
その法を説く者が居なくなれば自分がその法を説くことで
メシアになれる、そう考える者もいました。

 イエスJesusが説いた法はマリアMary Magdalen居なくて
完成するものではありませんでした。
それはマリア自身の愛と悟りの深さでもあり、Jesusが神と
繋がる為にマリアが大きな役割を果たしていたからです。
男性優位の時代にJesusの周囲に集まった信徒は女性が
優位になることを認めませんでした。
なんとか自分より悟りの高いMary MagdalenをJesusから
引き離し自分たちの身をJesusの近くに置きたいと考えていました。
悪い噂を流し、Jesusの近くに身を置くに
ふさわしくない人間である、法を説くにふさわしくないと
口々に言いました。
ダビンチコードにもあるように、最後の晩餐の絵画には
その風景がよく現れています。

 ユダJudahは己自身を最も愛した人間でしたが
その心は嫉妬に狂い、
Jesusを自分のだけのものにしたかったのです。
本当に自分だけのものにしたかったのです。



 イエスJesusもマリアMary Magdalenもこれらのことは
当時全てわかっていました。
この神の法を広め、神の子である多くの人々が未来に向かい
幸福に導かれるにはどうしたらよいか、そう考えていました。

そしてはゴルゴタの丘があるのです。
続きをいつか書きましょう。







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