池やん!まいど!おおきに!ごきげんどぅ!

仕事・今までの人生
このごろ悩みが多くて困ります。
周りの多くの人に救われているのを
実感する今日この頃。

雲ヶ畑の岩屋不動さんの向こう側はどぅ?・・大森とちゃいますか?

2008年01月12日 | バイクの有る生活
【1月10日の記録を元に記す】
ブレーキの簡易的な整備が終わり、
ブレーキフリゥードが無ければ話にならんので、
とりあえず山道探索・探訪?少しでも時間空けばこの調子である。

で、以前から気になっていた、小野郷・大森界隈を探索してみる。

雲ヶ畑の岩屋橋の京都バスのバス停から左の谷間を遡り薬師峠を越えて
北区大森である。しかしこの道はバイクでは不可能と考え、
反対側の大森からを見に行こうと思い出発した。
《同所から右の祖父谷を遡ると祖父谷峠を越えて京北町井戸に至る。
 したがって、大森から京北・周山に行くには、
 もうひとつ尾根を越えることになる。茶呑峠であり大谷峠で尾根筋に下る。》

小野郷に幼馴染の母親の実家があり、10~12歳ごろ、
鮎の巻き網漁解禁日にあわせて、泊まりにお邪魔したことがあり、
探訪をしてみようと最近考えていた。
当時私は、大阪にいてその大阪の都会の子数人がこの山村に遊びに来るのだから
面白くて仕方が無かった。一日中、清滝川で遊びほうけていた。

「水谷の水は冷たい!!!!」この言葉が忘れられない。
小野郷小学校のところから清滝川から支流に入ると
飛び切りその水が冷たくて長く遊べなかった記憶がある。

その友人の母親は、先ごろ他界されたが、非常に懐かしい。


〔小野郷の学校前から水谷川に沿い林道が南西方向へ山へ分け入る、
 途中で林業作業場所があり、恐縮しながら通行させていただく。
 その先で二本に別れる。
 整備された植林地内の走行となるので、充分に木々への配慮が必要である。
 多台数で押し寄せる場所ではないことは確かだ!と、言うより行くな!!!!
 両方を探索したがどちらも急勾配でガレ坂で、アタック系?かもしれない。
 右方向は、地形図によると田尻廃村へ、
 左方向は朝日峰から松尾峠経由、愛宕さんである。〕

またその時期と前後して、私の叔母も大森に在住で、
大森の地元の子に連れられ遊んだあの堰堤はどうなっているか、
あの木馬道はどぅ・・?
養鶏場があって地鶏を放し飼いにしてたように記憶する。

《目前で潰した鶏を、食した思い出が鮮烈である。
 命というものを自然の中に学習できた貴重な思い出である。》

見極めをしたく思い、出かけることにした。


〔大森東町を越え、しばらく進むとダートともいえず、舗装路ともいえない道の後
 ダートとなる。コケ多く走りにくい。途中、枕木を渡した橋があり、
 高さはないのであるが、朽ちかけていて、車輪の通る場所を意識しなければ
 いけないしよく滑る。で、飯森山の登山道の取り付けでバイクは終点。〕



大森キャンプ場の手前で、薬師峠・雲ヶ畑の表示がありそちらへ向かう、
ダーーーーーッと登り切れそうな直線の急坂が続き、
上り坂途中で引き返す。

もう一丁!縁坂峠を目指す。ここも、ダーーーーーーッと登ると
倒木でおしまい。
途中、おじいさんが榊の束を作っていた。
このおじいさんの飼い犬であろうと思うが、犬が吠えて追っかけて来て、
この犬はうれしいのか?私を脅しているのか分からない犬であった。
そのおじいさんに縁坂峠経由、真弓への道はいつから通行困難に
なったのか聞く。
足元で、しつこく犬が吠えるので、おじいさんは手にした榊の束で
犬の頭ををはたいた、神通力が宿る榊の力は絶大で犬を黙らせた。

充実した、少年時期の思い出と新規探訪ができ満足感いっぱいで、
大森の谷間を後にした。

途中、わが師のレオナ・I氏に新年初の面談し、タイヤ選定のアドバイスもらう。
初歩的買い忘れのブレーキフリゥードを購入。
夕暮れの京都の町を帰社し少しだけ翌日準備の仕事をした。
しかし、この時間帯のミニバイク・自転車の通行マナー悪いなー。

ー変人的評価ー
最近見かける、山の自然を満喫しよう的リクレーション施設の
その近辺の自然とのマッチングの不自然度について
                100%
山村はありのままでよい。自然とのふれあいは施設利用だけでは語れない。
山奥に私はマクドのごみが有ると冷める。

ー今日の名言ー
大森の縁坂峠取り付けの榊を持つおじいちゃん曰く
「にいちゃん!これでいけるか?」
いつから道がこんなに荒れたのかを聞いた返事である。
犬に無言でこの後、榊で犬の頭を祓った。犬も頭をたれる。
よく考えると、神主さんがお払いするとき自然と頭が下がることに気付いた。
そうすると教えてもらった事、無いでしょ。


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