沢山のお客様に感謝!素敵な歌い納めをありがとう!ホテルグランヴィア大阪50thDS楽しませて頂きました。
年明けの18日、中野サンプラザファイナルコンサートで会いましょう。
この16日の研究検討稽古会の後、私は18日にまた野口先生のところへ伺って、身体を観ていただいたが、その時野口先生は「光岡先生は僕なんかじゃなくて、もっと凄い人と出会ったら本当にもっともっと大きな器になる人ですねえ。申し訳ないですよ、僕なんかでは」と。
甲野先生にリツイート頂いた野口先生のコメントだが、本当に裕之先生らしいコメントには参る。“能ある鷹は爪を隠す”とは言うが、野口先生に関しては“天狗、人に化けて世の陰に潜む”と言った所が適切かと思う。⇒
そもそもオカシイ世の流れに素直ではない天狗は世の流から常に反することを天から舞い降り行う。天狗は人の世に身を置きながら地に足を着け、時には人の前に姿を現し人に其の本性を観せてくれる。⇒
その天狗の眼力は一瞬で事の本質を見抜く力があり、こぶとり爺さんの“こぶ”を取っては、別の爺さんには“こぶ”与えと、足りない人には更に足らずを与え本人が自ずと何が必要かを感じて判断できるようし、足りてる人には余分を与え何が必要ないかを自ずと感じられる様してくれる。⇒
天狗は優しいかと言えば俗世間で言うような優しさは其処になく、人と自然を結ぶに必要なことを只為し、結果として其れを優しさと深く感じる人はいるだろう。ただし、それは今の世の感性ではとても分かりにくいかも知れない。⇒
先ほどの話しに戻るが、甲野先生からリツイートいただいた野口先生のコメントは私との間や位を気にされ甲野先生に其のように言われたのかも知れないが、そのようなコメントにも少し天狗が独り人の世に舞い降りた寂しさを感じる。
今年最後の身体匠工房 (甲野陽紀先生 )
明日、大手公民館2階講義室にておこないます。
13時からです。
身体の使い方を一工夫すると、パフォーマンスが変わる。
飛び込み参加オッケーです。
宜しくお願い致します。
明日、松本にて!RT @bochibochigonta: 今年最後の身体匠工房 (甲野陽紀先生 )
明日、大手公民館2階講義室にておこないます。
13時からです。
身体の使い方を一工夫すると、パフォーマンスが変わる。
飛び込み参加オッケーです。
宜しくお願い致します。
型拵(こしら)えると思うように行かんよ。その折その折にやって行くんです。武術というものは、型拵えてやるべきじゃない。その折その折に出来ている。万有万神の条理を明示する所の祭政一致の本義そのものこそ、この合気道の基に成る。(『植芝盛平と合気道1』261p)
@hirakareta こんにちは!22日、あります!大手公民館講義室にておこないます。
お連れのかたも、是非お越しくださいませ!
@hirakareta 有難うございます!
宜しくお願い致します^_^
『天狗藝術論・猫の妙術』解説えくり。5700字も書いてしまいました。佚斎樗山の時代は太平の世が続いて100年、武士たちはもう白刃の下で命がけで修業するということがなくなってきました。そしてついつい「楽で効果の上がる費用対効果のよい修業」を求めるようになりました。
若い武士たちは「労を厭ひ、簡を好み」「修行は薄く居ながら、天へも上る工夫をする」ようになりました。400年前も「当今の若いやつらは修業つうものがわかっとらん」と嘆いていたのでありますね。
でも「じゃあ、修業せんで、勝手にちゃらちゃらしてろ」というわけにはゆきません。武芸は武士の「表芸」ですから。なんとしても先人の完成した武芸の体系を次世代に継承しなければならない。「レベルの低い初学者を極意に導く」という実践的課題が前景化したのは、これが武道史上はじめてのことです。
「レベルの低い武芸者を極意に導く」というのは困難な事業です。喩えて言えば「京都がどこにあるか知らない旅行者を新大阪行きの新幹線ホームまで連れて行って、列車に押し込む」ようなことですからね。さて、佚斎樗山はその難題をどうやってクリアーしたのでしょう?続きは解説を読んでね!
おはようございます。今日は養老先生主催の楽しい「野蛮人の会」であります。甲野善紀、池田清彦、茂木健一郎、植島啓司、久石譲・・・といった「濃い」メンバーが一堂に会します。名越先生と今日もご一緒です。「精神科医がひとりいないとまずいだろう、この顔ぶれじゃ」(@養老孟司)だそうです。
@hirakawamaru やだね。きっと知事候補には元五輪選手の参院議員あたり立ててくるよ。そして、「あなた、本気でオリンピックを成功させる気があるんですか、ないんですか」という踏み絵を都民に踏ませる気だよ。やだね~。見え透いているけど。