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武器学校 土浦駐屯地祭2018  旧装備品展示 5

2019年02月08日 | 陸上自衛隊レポ
さて〜〜ようやく戦車の出番でございます〜〜〜

まずは74式戦車から〜

74式戦車
74式戦車(ななよんしきせんしゃ)は、陸上自衛隊が61式戦車の後継として開発、
配備された国産二代目の主力戦車である。部隊内での愛称は「ナナヨン」。
第2.5世代主力戦車に分類される戦車。三菱重工業が開発を担当した。
105mmライフル砲を装備し、
油気圧サスペンションにより
車体を前後左右に傾ける姿勢制御機能を備え、
←これはほんとにすごい!と思う
射撃管制装置にレーザー測距儀や弾道計算コンピューターを搭載するなど、
61式の開発された時点では実現できなかった内部機器の電子化も行われている。
軽量化のため内部容積を減らして小型化している。
配備開始から装甲増加などの大幅な改修は行われていないが、
新たな砲弾への対応能力が付与され戦闘力を向上させている。
後継車輌として第3世代主力戦車である90式戦車が開発・生産されたが、
こちらは北部方面隊以外では富士教導団など教育部隊にしか配備されていないため、
全国的に配備された74式が数の上では主力であった。
それでも年40輌程度の早さで退役が進んでおり、
74式の更新をも考慮した10式戦車の採用や、
同じ口径の砲をもつ16式機動戦闘車の採用など代替がすすんでいる。










続きまして90式戦車
ごろんたは74式にハマる前は90式の大ファンでした。
が、しかし〜〜イベントでもあまり登場してくれず
よく目にする74式にいつしか心を奪われた次第。
さらには、10式の登場が結構衝撃的であり、90式のことを
忘れていた時期もございます…90式、本当にすまない。
さて、それではその90式とはどんな戦車か?

90式戦車
90式戦車(きゅうまるしきせんしゃ)は、
日本の戦車。第二次世界大戦後に日本国内で開発生産された
自衛隊の主力戦車としては61式戦車、74式戦車に続く三代目にあたり、
第3世代主力戦車に分類される。
着上陸侵攻してくるソ連軍の機甲部隊に対抗することを開発目標としており、
世界の第3世代戦車トップクラスに比肩する性能を有する。
製造は、車体と砲塔を三菱重工業、120mm滑腔砲を日本製鋼所が担当し、
1990年(平成2年)度から2009年(平成21年)度までに61式戦車の全てと
74式戦車の一部を更新するために341輌が調達された。価格は1輌あたり約8億円である。
120mm滑腔砲と高度な射撃管制装置により高い射撃能力を持つ。
西側諸国の第3世代主力戦車では初となる自動装填装置を採用しており、
乗員は装填手が削減され3名となっている。装甲には複合素材が用いられ、
正面防御力は世界最高水準と評価されている。
北海道の北部方面隊以外では教育部隊の
富士教導団・第1機甲教育隊・武器学校にしか配備されておらず、
本州以南の機甲部隊は74式を主力とする。
平成23年度以降は冷戦の終結、防衛方針の変化や防衛費の削減、
東アジアの軍事バランスの変化など、世界、国内の情勢変化を受けて、
全国的な配備を目指した後継の10式戦車が配備される。一方で、
平成23年度以降に係る防衛計画の大綱で示された動的防衛力の方針から、
90式戦車も北海道以外の地域で活動を行えるよう、訓練が実施されるようになっている。







戦車で忘れられない出来事があった東千歳駐屯地
一度当ブログに掲載したことありますが、再掲載。







74式の乗り方 ↑ なるほどな〜〜〜

さて、次回からは!第二次大戦時、またはそれ以前の兵器をご紹介いたします。
どんなものが出てきますか、お楽しみに〜〜〜
コメント (12)
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武器学校 土浦駐屯地祭2018 9  旧装備品展示 4

2019年02月06日 | 陸上自衛隊レポ
それでは、続きと参りましょう
今回はどこまでお見せできるでしょうか…

73式装甲車

60式装甲車の後継として1973年に制式化された装甲車である。
1974年から陸上自衛隊への配備が始まり、合計で338両が生産され、
最終的には調達価格ベースで約1億円程度まで単価が減少した。
全体的なデザイン及び車内レイアウトは60式を踏襲しており、
車体前部右側に操縦士席、左側に銃座と前方銃手席がある。
車体は60式より1m延長され、後部兵員室には一個小銃班8名が乗車可能である。
兵員室上面に大型の両開き式ハッチを備え、側面にT字型のガンポートが6箇所設けられている。
車体後部には3連装の発煙弾発射機を装備しており、60式に比べ装備の充実が図られている。
車体には軽量なアルミニウム合金を採用し、浮上航行能力とNBC防護力を備えている。
国内の河川の護岸整備が進み、陸上自衛隊の施設科部隊に81式自走架柱橋などの
本格的な架橋装備が行き渡っている現在ではこのような車両独自の浮航装備の必要性は
薄いと思われてきた。また、たとえ浮航を行うにしてもこの車体においては、
フロートの追加など、煩雑な30分ほどの事前作業が必要であり、
各部隊で行われた実験は「沈没」という結果を数多く残しており、
スペック上浮上航行能力はあるが実用性なしというのが実情のようである。
現在は、96式装輪装甲車が制式採用され、配備が進んでいる。








82式指揮通信車

日本において第二次世界大戦後初めて実用化された装輪装甲車である。
陸上自衛隊で使用され、主に師団司令部や普通科連隊本部、特科連隊本部などに1983年から配備されている。
防衛省は略称を「CCV(Command Communication Vehicle)」、公式愛称を「コマンダー」としており、
自衛隊内では単に「指揮通信車」または名称を略して「シキツウ」とも呼ばれている。
陸上自衛隊では、悪路走破性の高さから戦闘車両は無限軌道による装軌式を採用してきたが、
1974年に防衛庁(当時)は装輪式の車両の機動性研究を行う事を決定し、三菱重工業と小松製作所に車両試作を発注する。
走破性に関する試験を行った防衛庁は、1978年から三菱重工業と小松製作所に新型指揮車の開発を依頼し、
1980年までに4輌の試作車が完成。1982年に小松製作所の車両を制式採用した。








87式砲側弾薬車

防衛庁(当時)では、1984年より、各方面隊直轄の特科大隊の装備する牽引式火砲の更新装備として
M110 203mm自走りゅう弾砲の導入を開始した。しかし、M110は車体が小型であるため、
車両本体には砲弾及び装薬は2発分しか搭載できず、また、射撃に必要な13名の要員のうち
搭乗できるのは5名のみであった。
アメリカ陸軍では弾薬と残り8名の砲要員は随伴するM548 装軌貨物輸送車によって輸送されるが、
陸上自衛隊ではM548は採用せず、独自に国産の随伴弾薬車を開発・装備することに決定した。
これにあたっては、M110が更新する装備である203mmりゅう弾砲M2の牽引と
弾薬及び砲要員の輸送に使用されている73式けん引車の発展型を開発して装備することとされ、
1983年より日立製作所によって開発作業が開始された。
試作車両は新造したものと73式より改造したものが製作され、1985年にはそれぞれ砲側弾薬車(A)、
砲側弾薬車(B)として完成し、各種試験が行われた[1]。試験の結果、
エンジンをM110と同じものに変更した砲側弾薬車(A)の方が、M110に随伴して行動し、
同じ部隊内で運用するにはより適しているとされ、1987年に「87式砲側弾薬車」として採用された。






75式130mm自走多連装ロケット弾発射機

広範囲に展開する陸上兵力の制圧を目的とした陸上自衛隊の自走多連装ロケット砲である。
1975年に制定採用された。略記号は75MSSR(またはMSSR=Multiple Surface to Surface Rocket)
73式装甲車の小松製作所製試作型である「SUII」を基にした車体に30連装のロケット弾発射装置を搭載している。
発射装置は上から順に7列、8列、7列、8列を重ねた変則的配置となっており、
各発射軌道が単純には並んでいない形式になっている。射界は左右50度、最大仰角50度である。
ロケット弾発射装置の他、車体前部右側の車長(発射班長)席には12.7mm重機関銃M2が装備されており、
この機銃架はロケット弾の発射時に射線を妨害しないように、射撃時には真横に倒すことができる。
搭載する75式130mmロケットりゅう弾は、4枚の固定フィンを持つ、重量43㎏の単段固体燃料ロケットであり、
単発もしくは0.4秒間隔の連射を行う。
なお、有翼安定式のロケット弾であるため、射撃時は風の影響を受け易い。
そのため、射撃精度の向上を狙い、射撃前に同行している75式自走地上風測定装置により
風力・風向などの観測による諸元調整後に、ロケット弾を発射する。








73式けん引車

陸上自衛隊創設時にアメリカ軍より供与された米国製砲牽引車の更新用として開発、
装備された車両で、砲の牽引、人員と弾薬の輸送の他に排土装置(ドーザープレート)を
装着してある程度までの規模の砲兵陣地を構築する作業を行うことも可能である。
外見及び運用性能は25tけん引車 M8を意識したものであるが、M8が全幅約3.4m・車重25tと
当時の日本の平均的な道路条件ではやや大型過ぎる傾向があったのに対して、
73式は全体的に小型軽量化する事でより日本固有の道路事情下での運用性を高めたものとなっている。
なお、陸上自衛隊では米国から供与された砲牽引車を高射特科部隊でも大口径高射砲の牽引に使用していたが、
73式の制式化当時には高射特科では既に高射砲を装備していなかったため、当車は特科部隊以外では装備されていない。
現在、生産・配備された全ての車両が退役済みである。一部の車両は所定の改修作業を受けて
87式砲側弾薬車開発・生産にあたっての試験車両となり、砲側弾薬車(B)として再就役している。
車体部分の設計を流用して92式地雷原処理車や87式砲側弾薬車など、多くの派生型が開発されている。





(以上、出典は全てウィキぺディアより)
さてさて、残すはあと戦車のみとなります〜〜〜〜ひっぱててごめんなさいあ。
戦車が出番を終わりますと、次は…旧軍の装備品ならびに鹵獲品の展示レポとなります〜〜
よろしければおつきあいください〜〜〜♪♪
コメント (10)
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ちょっと休憩 チッサイさんズの節分風景〜

2019年02月04日 | コマ漫画それゆけマカロン小隊


チッサイさんたちだと、節分の豆も大きいので危険ですね〜〜
ウマウマするのが得策だと思います。

おまけ漫画





え〜〜〜またもや
瓦川小隊長をいじりにいったアム小隊長
豆ですから殺傷能力はありませんが
お顔にあたると大変ということで
ボディのみ狙ったそうです。
良い子はまねしちゃだめだよ。
コメント (6)
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武器学校 土浦駐屯地祭2018 9  旧装備品展示 3

2019年02月02日 | 陸上自衛隊レポ
74式自走105mmりゅう弾砲

設計
車体は73式装甲車の駆動部を中心に流用しているが、外見上の共通点は少ない。
車体そのものは、直接的には73式の走行系を流用した76式対砲レーダ装置の牽引車部分である
KP140の車体部と共通した設計となっている。
材質はアルミ合金製で、自走砲としては珍しく、浮航用キットを装着することにより水上航行が可能となる。
車体前方右側が操縦席となっており、73式と同様に2本の操縦レバーが備わっている。
前方の左側にはエンジンが積まれ、前輪駆動となっている。

兵装
車体後部は戦闘室で、全周旋回式の密閉型砲塔が搭載されている。
砲塔の上面に防盾付きの12.7mm重機関銃M2が搭載され、
戦闘室の側面には64式7.62mm小銃用のラックが取り付けられている。
車内搭載弾数は43発で、射撃速度は最大で毎分10発に達する。
実戦用の砲弾には榴弾(M1及び74式)・発煙弾(M60及びM84)
・照明弾(M314系)・成形炸薬弾(M67)が用意されている。最大射程は14.5km。
(出典:ウィキペディア)








60式自走81ミリ迫撃砲
60式装甲車の試作型の一つであるSU-II型を改設計し、後部車体内に81mm迫撃砲を搭載したものである。
製作は三菱重工業と小松製作所。同様に60式装甲車がベースとなっている60式自走107mm迫撃砲とは
車体後部の形状が異なっていることと、車体前面左側に7.62mm機関銃のマウントがあることで識別できる。
通常の迫撃砲射撃時は車体後部上面および後部ドアを開き車上から射撃を行うが、
必要に応じて迫撃砲本体を降ろして野外でも射撃できる。車外射撃用に通常の迫撃砲で
用いる底板と二脚も用意されており、これらは普段は車体前面に積載されていた。
また、車体前面にある7.62mm機関銃マウントには、
普段は機関銃本体は搭載されず、必要に応じて追加搭載する、とされていた。
(出典:ウィキペディア)








60式106ミリ無反動砲
1960年(昭和35年)に第二次世界大戦後初の国産装軌式装甲戦闘車両として制式化され、
2008年に全車が退役するまで半世紀にわたり使用が続けられた。61式戦車や60式装甲車など、
1950年代から開発が進められた国産兵器の一つ。待ち伏せによる対戦車攻撃を主任務とする。
隊員間では「106SP」と呼称されていた。
また、戦前から歩兵直協用の極小型戦車は豆戦車と呼ばれており、60式にも「マメタン」の通称があった。
対戦車誘導弾が開発される以前は師団対戦車隊のジープ搭載型無反動砲を入れ替える形で4個対戦車小隊に完全配備、
64式対戦車誘導弾が配備され始めると次第に運用は
師団対戦車隊の4個小隊中2個対戦車小隊→普通科連隊普通科中隊の対戦車小隊無反動分隊
→末期には対戦車小隊の隷下2個対戦車分隊のうち1個分隊に配備され、
主に対機甲戦闘の他に遠距離からの陣地攻撃などに用いられていた。
ジープなどの非装甲車両に無反動砲を搭載した対戦車車両も存在するが、
装甲車両としての自走無反動砲は、60式とアメリカのM50オントス自走無反動砲(無反動砲6門搭載)しかない。
2008年3月31日に北海道の真駒内駐屯地に配備されていた車輌の退役をもって、全車が退役した。






M42ダスター自走高射機関砲
M42ダスター自走高射機関砲(M42 40mm SPAAG "Duster")は、
アメリカ合衆国で開発された自走式対空砲である。
"Duster"とは「掃除人」もしくは「(掃除用の)はたき、雑巾」の意。
M42はM41軽戦車の車台に新造された車体上部、全周回転可能な屋根の無い
オープントップの砲塔を載せ、ボフォース社の設計をもとにした連装の40mm機関砲を装備している。
40mm機関砲の照準は光学照準のみで、給弾は四発入りクリップを使用、一門当たり毎分120発の射撃が可能だった。
車体前部に操縦士と車長兼無線手が乗り、照準手、射撃手、給弾手二名は砲塔に配置されている。
車体後部にエンジン及びトランスミッションが配置された後輪駆動形式で、転輪は五個、上部転輪は三個の構成となっていた。
ベトナム戦争ではもっぱら地上掃射に活躍し南ベトナム解放民族戦線にはB-52戦略爆撃機の絨毯爆撃と共に恐れられていた。
アメリカの他、オーストリア、西ドイツ、日本、中東各国に供与された。








75式自走155ミリ榴弾砲
アメリカ合衆国より寄与されたM44 155mm自走榴弾砲の後継として開発され、1975年に制式化された。
1969年より研究開発が行われ[3]、1973年より実用化試験が行われている。
1975年に制式化され、1977年より調達が開始されている。車体を三菱重工業、主砲と砲塔を日本製鋼所が開発担当した。
最終調達の契約は1985年度[4]。全部で201両[1][3][4]が生産され、教育部隊の他、北部方面隊の各師団特科連隊に配備されていた。

設計
車体後部に密閉式の全周旋回砲塔を有し、車体・砲塔はアルミ合金溶接構造である。
乗員は車長、砲手、装填手2名、通信手、操縦手の6名。
日本製鋼所製の30口径155㎜砲を装備しており、自衛用として砲塔上面右側に12.7mm重機関銃M2を1門装備する。
当時としては珍しい自動装填装置を備えているのが特徴で、回転ドラム式の弾倉により弾体の機械装填を行う。
ただし、装薬については砲弾装填後、手動で装填される。これにより最大で毎分6発の砲撃をすることができる。
回転ドラム式弾倉には、9発の砲弾が装填でき、これが2基あることから、18発分の自動装填が可能である。
ドラム外に10発の砲弾を搭載していることから、砲弾は28発、同様に装薬も28発分搭載している。
本自走砲用に「75式155mmりゅう弾」が開発されており、最大射程は19,064m。砲弾の生産は1990年まで行われていた。
同時期に74式自走105mmりゅう弾砲も製造され、当初は直接支援用に105mmを、全般支援用に155mmを割り当てることを考えていた。
しかし、105mm砲は時代の趨勢上性能不足であり、74式は20両で調達中止となり、1970年代後半には両方とも155mm砲で統一することになった。
砲を換装した改良型も検討されたが、開発には至らなかった。
後継として、より大型高性能の99式自走155mmりゅう弾砲が開発され、2012年(平成24年)頃に退役予定となっていたが、
99式の調達の少なさから退役は延ばされていたが、2016年(平成28年)に全車退役した。









ウィキに頼りすぎてる感が否めませんが…
ごろんたのうろ覚えの知識をたぐるより(というか知識ない)
ウィキさん情報の方が大変役立ちます〜〜

次回は…だいたい似たような感じです(苦笑
よろしければおつきあいください〜〜

追記:
雪が降ったり、寒かったり暖かかったり、
ちょっと体がしんどくなる気候で
しかもインフルエンザ罹患者が222万人という、とんでもないことになっております。
皆様、くれぐれもご自愛くださいませ〜〜〜


コメント (14)
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