漫歩マンの健康日記

日々健康を求めて~~

昔のこと

2016-04-15 22:14:01 | 人生
淀屋橋の本店に勤務したのは4年半。
S.39(1964)年10月から神戸支社へ転勤になった。
当時神戸支社は元町の大丸百貨店の隣にあった。

転勤といえば、勤務した場所は本店⇒神戸支社⇒松江支社⇒大阪中央支社⇒淀川北支部⇒吹田中央支部⇒呉東支部⇒奈良支社⇒長野支社⇒新大阪支社⇒京都法人営業部⇒奈良支社⇒本店⇒奈良支社と廻った。

転勤の度に当然住所が変わるのだが、住まいはちょうど10回変わっている。
その引越し作業は90%以上オッ家内一人の作業。
亭主は“仕事で”任せっきり! 今更ながらお世話になりました。
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当麻の里

2016-04-14 22:15:40 | ウオーキング・小旅

ゆうほのメンバー19名で当麻の里を歩いた。
近鉄二上山駅からスタートして
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スタートしてすぐに専称寺。
枝垂れサクラが有名だが、もう季節は過ぎていた。
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二上山が笑っていた。
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二上山ふるさと公園で大休止。
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二上山ふるさと公園を過ぎてから、鳥谷山古墳の公園で昼食。

石光寺を通過して
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当麻寺
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昨日までは良く降りましたが、今日はケッコーな日和でした。




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昔のこと

2016-04-13 22:17:09 | 人生
4時15分に勤務の終わった後は時間つぶしに困るほどだった。
給料は実家に形ばかりの仕送りをし、後はすき放題に使えた。
ビリヤード、マージャン、映画、そしてお酒。酔っぱらったあとは歌声喫茶なんかにも通ったね。

 飲み屋はいつもなじみの小料理屋で飲んだ。
アル中の課次長に可愛がられ、一緒によく飲んだ。彼の仁川の社宅でもよく泊まった。
当時は飲み屋では殆どが“つけ”だった。
給料日になると、会社の昼休みに飲み屋のママが集金に来ていた。

 なじみの小料理屋で日本酒を飲んだあとはバーでウィスキーとかカクテルを飲んでいた。
そのバーには流しのギターが流していたね。
歌声喫茶では山男の歌・カチューシャ・ともしびとかを女の子たちと腕を組んで歌ったものだ。

 映画は殆どが西部劇だった。 駅馬車・シェーン・真昼の決闘・荒野の七人・黄色いリボン・アラモの砦等々ジョンウェインが良かったね。
映画館では追加料金を支払い、ほとんどは特別席で見ていた。

 背広と革靴は全て誂えでいいのを作った。
仕立て屋を寮にまで来てもらって、誂えていた。
伯母がワタシの背広を見て、いつも「いいのを着ているね」と感心していた。

・・・と、自由に使えたのは独身時代。
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大和民博

2016-04-12 22:19:26 | ウオーキング・小旅
大和民博には最後のサクラ「関山」が咲いていた。
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サクラがまもなく終わるかな、と言う頃
ロウバイの実がなっていた。
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梅の実も付いていた。
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昔のこと

2016-04-11 22:20:44 | 人生
昭和35年(1960年)3月18日に入社した。
初任給は9200円、この会社毎月20日が給料日のため入社日の18日から月末までの分を日割り計算して、
3月20日に4000円ほどが初月給だった。
二日間しか出勤していないのに、もう給料がもらえた。
これはありがたかった。

 住まいは甲子園の独身寮に住み、国鉄甲子園口から淀屋橋の会社まで通った。
昭和35年に入社した頃、寮にはまだ洗濯機は備えられていなかったが、すぐに洗濯機が備えられた。
それで洗濯は近所のおばさんと契約して洗ってもらっていた。

 会社の始業は9時15分、終業は4時15分で労働時間は6時間。(通勤ラッシュを避けて15分ずらせていた)
土曜日は9時15分から12時15分の3時間労働。(出勤したと思ったらもう帰る時間)
土曜日には午後必ず、神戸の伯父の家に遊びに行った。 伯父の家にはまだ“ねえや”がいる時代だった。
伯父の家では3才年下で甲南高校の従兄弟がおり、伯母からこの従兄弟に勉強を教えてくれと頼まれていたのが苦痛だった。
伯母はワタクシを秀才だと信じており、ワタクシは高校時代を遊んで暮らしたそのギャップ・・・。
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  イワレンゲの花が咲いた
    P4112678



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