5『美作の野は晴れて』第一部、都会への憧れ
テレビの外国ものでは、さしあたり幾つかの番組の記憶が残っている。数ある外国番組の中でも、『保安官ワイアット・アープ(The Life and Legend of Wyatt Earp)』は圧巻だった。主題歌は、後の『OK牧場の決闘』ではない。もっと静かな曲調で、現在でもインターネットでさわりの部分を試聴することができる。はじめに「ワイアット・アープ、ワイアット・アープ」とあって、続きの文句は、いまだに英語が苦手な私の耳で繰り返し聞いてもはっきりしない。主演の男優はヒュー・オブライエンであった。彼は長身でいて、ニヒルな上にハンサムときている。それでいて心憎いほど女性に対して紳士的なところがあって、全体的にも善良な人達に優しいアープを演じていた。歩く時には少し腰をひねり気味に歩いているようであった。腰に提げている長めの、どっしりした拳銃のせいかもしれない。彼の仕草のあれもこれもが格好良くて、憧れの的であった。
話の筋は、拳銃の撃ち合いばかりではなかったので、興味深く観賞させてもらっていた。時は19世紀のアメリカの西部開拓時代、その主な活躍の場所はアリゾナ州のトムスンであった。図書館に行けば、その町の写真を観ることができるだろう。それには、あちこちからの荷馬車でごったがえし、方々からの男たちで賑わっている、埃っぽい、その当時の町の目抜き通りが写っている。実際のアープはなかなかの生き方上手で、「清濁併せ呑む」類であったらしい。後には保安官を辞め、カリフォルニアに移って比較的裕福な晩年を過ごしたようだ。もっとも、そのことはずっと後に知ったことで、当時は露ほども知らなかった。夜9時以降の放映(1961~65年)だったかどうかは覚えていない。1回当たり30分のテレビでの放映全てを、テレビの前に正座して、まるで食い入るように観賞したものだ。
『名犬ラッシー』も、毎回のように楽しんで観ていたのではないか。舞台としては19世紀のイギリス、空気以外はただではなさそうなロンドンなどの都会ではなかった。たぶん南部のヨークシャーかどこかの田舎のごく普通の少年のいる家庭において、この犬は大事に飼われていた。そのラッシーがどうしたことか、自分の飼われている家庭が貧乏なため、ある時裕福な貴族の家にもらわれていく。行き場所は、スコットランドにあるその買主の別荘であったのではないか。ラッシーはそこで大事に扱われていたのだが、昔のことが忘れられない。そこである日、宿所を抜け出して、はるばる南部のヨークシャーの昔の家を目指して旅する。今更昔の楽しげな思い出を懐かしんでどうなるんだ、しっかり前を向けとも思われるのだが、ラッシーは怯まない。頭のどこかの引き出しにしまわれていた記憶が何かの拍子に引き出されて、脳裏にひょいと浮かんでくるのだから仕方がないではないか。一番の気に入りのシーンは、買われていく前のことなのかもしれないものの、どこかの草原に出ていて、主人公の何とかいう少年が「ラッシーッ」と大声で呼ぶ。すると、主人を振り返ったラッシーが一瞬の間に踵(くびす)を返し、カメラを構える側に跳びはねるようにぐんぐんと走り寄って来る。少年が膝を降ろしてそれを待ち構える。そして、ラッシーが主人公のところにやって来て、少年に抱きつく。実に感動的なシーンだ。
『コンバット(Combat)』は戦争物である。こちらは、1963年(昭和38年)から67年(42年)までコンバットが放映されていた。サンダース軍曹が「リトルジョン、カービーついてこい。ドイツ兵の後ろに回るんだ」などという。作戦が実施される。機関銃がうなる。手榴弾が炸裂する。それで相手が粉砕されてその回の放映が終わるというのが、大体の筋書きだったように思う。
相手方のドイツ軍の作戦内容とかの事情や作戦はほとんどお構いなしで、アメリカ軍主体の動きで話がどんどん進んでいく。戦線の大きな状況を教えてくれるのは稀で、それが全体のどんな戦いなのかほとんどわからずじまいだった。子供心に残ったのは、とにかく双方の兵士たちが銃撃や爆弾を受けてはバダバタと倒れ、死んでいく。人間はどうしてこんなに殺し合わねばいけないのだろうということ、そのことであった。時々であるが、いやな感情がこみ上げてきた。でも、なぜアメリカとドイツが戦争しているかの原因をたぐり寄せるには至らなかったといっていい。
カウボーイもので『ローハイド『』(「皮の鞭」の意味)というキャトル・ドライブを扱った劇画も放映されていた。その曲は、“Rollin', Rollin', Rollin'”とのかけ声で始まる。そして最後は、“Rawhide!”と長く伸ばして声を張り上げる。それからも、威勢のよいかけ声と鞭の音やらを織り交ぜつつ、どんどん曲がすすんでいく。
そして、やや曲のテンポが変わって、次のところで佳境にさしかかる。
“Don't try to understand them,
(彼らの気持ちをわかろうなんて考えるな)
Just rope and throw and brand 'em,
(ロープを投げてわからせてやれ。)
Soon we'll be living high and wide!
(もうすぐ俺たちは、よくて気ままな暮らしができる!)
My heart's calculating,
(胸に手を当てよく考えてみれば、)
My true love will be waiting,
(私には心から愛する人が待ってくれている、)
Be waiting at the end of my ride.
(この旅の終わりまで待てば、)
Move 'em on, hit 'em up, hit 'em up, move 'em on
Move 'em on, hit 'em up, Rawhide
Cut 'em out, ride 'em in, ride 'em im,
(切り離せ、割り込ませろ、)
let 'em out, cut 'im out, Ride on in, Rawhide!
H'yah! H'yah!”(日本語は拙訳)
となって、終幕へと向かっていく。
この歌の最初の「ローリン」の3回連呼と、最後の「ローハーーーイド」というところが、すこぶる快い。最初の「ローリン」の連呼とともに、自分は緩やかな傾斜のある大平原の只中にいて、馬を走らせ、仲間とともに牛の群れを先へ先へと誘導している姿が自分にも乗り移る。その勇姿というか、荒ぶる男達の移動する仕事場を朝の太陽が照り輝かせつつある。愉快だ、しかし過酷な労働だ。追体験などまるでないのに、まるでそこに馬に乗った自分がいて、牛を追っているかのような臨場感があった。途中でなにやらムチの音が入ったりして、畳重ねるようなリズムとともに心に響いてくる。さっそく、身振りと手振りよろしく、その真似をして悦に入っていく。ただし、同調して歌うには歌詞が難解かつテンポが速すぎることから、諦めざるをえなかった。
番組では、テキサスからアリゾナまで「際限のない」ような遠い道のりを、6人の男たちが何千頭もの牛の群れを追っていく。そのルートを自分で確かめようと、地図帳まで動員したりでしらべてみたものの、わからずじまいで、途中で「まあいいや」となったのではないか。何しろ「ローハイド」というだけのことはあって、3か月から6ヶ月もかかる長旅だ。昼は牛泥棒や「コヨウテ」(オオカミの一種か)などの襲来で油断がならない。夜は夜で、コヨウテが鳴くなかで、牛を寝かしつけなければならない。臆病な牛たちが暴走をはじめたら止めようがないからだ。そこで彼らの楽しみは、日没後の熱い一杯のコーヒーと、たまにゆきづりの町で交代で出かけるバーで呑むウイスキー、さらに夜明けを待たずに仲間と入れて飲む、この日初めてのコーヒーといったところだったろうか。最後の「ローハーーーイド」のところは、主人公たちが牛に鞭を当てながら、自分たちの生き様を力一杯アピールしている。そんな堂々としたような印象を与えられて、テレビの画面から伝わってくるそのど迫力に私も鼓舞され、曲の最後の方では、周囲をはばかって小さな声に努めつつ、息を吐き切る程の小さな「雄叫び」を絞り出すのであった。
その頃の私にとって、一番の楽しみは歌うことであった。個々の中の心象風景においては、ちょうど、その頃の祖母が時折、「田植え歌」らしきものを口ずさみつつ、家事をしているのと大して違わなかったのかもしれない。といっても、楽譜が読める訳でもない。ただ心地よいのだったし、それまで聞いたことのないメロデイーが耳に入ると、それだけで「ふむ、これは何だろうか」と「知りたい」と興味をそそられる。聞いているばかりでは面白くない。覚え立ての歌を、少しずつなぞって、とにかく歌ってみよう。それでこそ、その歌と自分が同化している感じがしてくる。それだけでなにやら、「気」というか、何かしら体の外に出て行くものが感じられる。一人ながら、それですっきりして元気になったり、爽やかな気分になったりするものだから、不思議だ。
1967年(昭和37年)のレコード大賞は、ブルーコメッツの『ブルーシャトウ』であった。当時、私は小学四年生になっていた。その曲の出だしは「森と泉に囲まれて」となっていて、山と谷に囲まれ、平野が狭い日本の景色にはふさわしくない。異国情緒に溢れたその調べが流れ始める。すると、社会の授業で習った北欧の「フィヨルド」か何かの、涼しげというよりは、何かしら暦の上では夏でも冷たさを感じさせる風景が浮かんできていた。この作品に込められたメッセージが何であるかは、残念ながら知らない。今でも、歌詞だけは頭に畳み込まれていて、いつでもどこでも、記憶の引き出しから引き出すことができる。
とにかく、グループのスマートな体に燕尾服の格好が良かった。洗練された大人のムードがかもし出されていた。それまでのいろんな歌にはない、エキゾチックな雰囲気が感じられた。そういうことなので、体というものは嘘をつかない。その透き通るような曲想に惹かれていったのは、自分にとって自然の成り行きであったろう。
ここで「栄光の」グループサウンズからもう一曲、記憶をたぐり寄せてみたい。ザタイガースの『花の首飾り』だった。「花咲く 娘たちは」に始まり、物語調に進んでいく。愛の印の「ヒナギク」の「花の首かざり」を「私の首に かけておくれよ」という下りになると、子供ながらになぜか切なくなってきたものだ(菅原房子・なかにし礼作詞、すぎやまこういち作曲)。花の首飾りとなると、あるハワイに咲く「プルメリア」の、あの淡い赤と白のコントラストの、かぐわしい臭いを発する花が思い浮かぶ。その歌詞にある「ひなぎく」もその類なのだろうか。
グループサウンズの曲の良さの一つに、私は「間奏」を挙げたい。ブルーコメッツでいえば、ボーカルの人がフルートかピッコロらしきものを吹くのだが、それが異国情緒に包まれるようで心地よかった。まるで、北欧のフィヨルド(凍結した海岸線)のような、湖と針葉樹林のような光景が浮かんでくる。クラシックの曲に例えて申し訳ないが、北欧のグリーグの曲を聴いているような透明感がたまらない。一方、『花の首かざり』は、おかっぱ頭のボーカルの人を中心にハミングしながら謳っているような案配で、えもいわれぬ、なんというか、暖かい雰囲気をかもしだしていたのに惹かれた。
気に入った曲目は、反芻しているうちに自然と覚えられたから不思議だ。一度覚えると、今度は歌ってみたいことになり、一人で歩いているときなど、自然に口ずさむようになるものだ。学校から換えるときはなにやら開放感があった、家に帰る途中、友達と別れてからは1人のときが多いので、この曲もレパートリーに加えつつ、歌いながら下校したものである。
音楽番組以外にも、いろんな番組を見ていた。その頃の我が家でテレビのスイッチを入れるのは、夕ご飯後のひとときであって、大相撲とか高校野球は時間帯が合わない。ブロ野球、プロレス、それから大河ドラマなどを家族と一所に観ていた。その中でも、大河ドラマやプロレスはみんなで見ていた。力道山の「空手チョップ」には、父も「やれえ、やっちゃれえ」などと、体を何度も揺り動かして応援していた。力道山がどのような少年時代を送ったかについては、20代になって神戸で生活するようになってから、当時の日本と朝鮮との時代背景とともに知った。それを観ている者の心構えとしては、心に太陽を抱け、ということであったのだろうか。
その他にも、NHKの大河ドラマの代表格は、なんと言っても、長谷川一夫主演の『忠臣蔵』であったろう。彼の「おのおのがた」という時の口の動かし方には、何というか、独特の趣があって、「やっぱり頭領というのは、ああでないといけないのかな」と、自分もその時代にタイムスリップしてような気分で「いかにも」と感心したものだ。
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