325の2『自然と人間の歴史・世界篇』血液型の発見(1900)
1900年、オーストリアの化学者のカール・ラントシュタイナー(1868~1943)は、他人同士の血液を混ぜる実験をしていたという。すると、赤血球同士がくっついてかたまりになる凝集(これを「溶血」という)が起こった。その原因を確かめるべく、自分と弟子たちの血液を赤い血球と、うす黄色の血漿(けっしょう)とに分離する。そして、その分離した各個人の血球に別な人の血漿を加えてみた。なお、ここにいう赤い血球というのは、血液の細胞成分であって約45%を占め、赤血球、白血球それに血小板などから成る。これらのうち、赤血球は、自分に乗せて全身に酸素を運ぶ役割を果たす。また血漿成分というのは、血液の約55%を占め、水分やたんぱく質から成る。
すると、どうだろう。赤血球が凝集するものとしないものとがあった。しかも、その凝集の組み合わせに規則性というものがあることを発見した。それも、凝集するのを見越して、その原因についての仮説を立てての実験であったようで、その仮説とは、「自分と異なる血液の種類を排除する抗原抗体反応ではないか」というものだった。その10年ほど前、日本の北里柴三郎が発見した「抗体」の概念によると、実験でこのような差異が観られるのは、かかる抗体反応が今試験管の中で起きているに違いないと考えた。
そして、カール・ラントシュタイナーらは、それぞれの場合について、どのような赤血球の型があるかを煮詰め、ついにそこに次のような規則性があるのを発見する。具体的に言うと、こう考えた。赤血球の表面には抗原と呼ばれる物質がある一方、血漿の中には抗原と結びつく抗体が存在する。例えば、A型の赤血球にはA抗原という物質がある。そして、このA抗原に結びつく抗体を抗A抗体と名付けよう。すると、A抗原の突起(いわば鍵)の部分は、抗A抗体の穴(いわば鍵穴)とびたり一致する。しかし、実際のA型の血液には抗A抗体はなくて、その代わりにB抗原に結びつくB抗原に結びつく抗B抗体があるということになった。
そこでもし、A型の血液にB型の血液を混ぜるとどうなるか。それというのも、ここにいうB型の血液にはB抗原がある。その一方で、A抗原とびたり合う抗A抗体が存在することになっている。すると、前者としてのA抗原(鍵)をもつA型の血液(赤血球)と、後者としての抗A抗体(鍵穴)をもつB型の血液(血漿)とが、抗原(鍵)と抗体(鍵穴)とが結びつくことから、混ざり合うことになろう。そうなると、かかる赤血球同士がくっついてかたまりになる凝集が起こり、「赤血球の膜が壊れる」(「朝日新聞」2019年1月5日付け)ことになるのだという。
カール・ラントシュタイナーは、このような実験から、私たちが今日いうところのA型、B型そしてО型の血液型を発見した。なお、AB型の血液型は後に彼の弟子により発見されたのだという。およそこのようにして、血液型の何たるかの基本的仕組みが明らかにされた。
(続く)
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