サラ☆の物語な毎日とハル文庫

北海道の家具職人さんがブログのなかで「森」について詳しく書いている

↑c.o.u.「木々の声を聴く」/The day of pat woodworking(ブログ)

のなかの写真を引用しています!




ブログをみたり、足跡をたどったり、webを検索したりしていると

ときどき、いい記事にぶつかることがある。

岡田通人さんという北海道の家具職人さんのブログも

なんとなく偶然ぶつかった。

 

森や木について書かれている。

おやっと思う記事が並び

学ばせてもらうことがたくさんあった。

 

とくに森や木の時間についての考察は、

自分は知らない新しい知識として、印象に深く残った。

どの分野でも、プロの語る言葉は含蓄が深いという思いを強くする。

 

ややこしい話だけど、サイトをリニューアルしたのでいまはない

c.o.u.という銀座にある革製品のショップのサイトのブログに

14回にわたって掲載された「木々の声を聴く」という連載記事

 

ちなみに家具職人ご本人のブログにも同じ記事がアップされている。

 

その中の印象に残った文章を一部抜粋して

引用させてもらう。

もっと多岐にわたる多彩な記事が並んでいたけれど

個人用ノートとして、ほんの一部分だ。

ここだけ抜き出すのは申し訳ないくらい。

興味ある方はブログを覗いてみてください。

 

以下は引用先。(c.o.u.のブログに掲載されていたもの)

 pat woodworking 岡田通人 profile

 兵庫県西宮市で建築業に携わった後、pat woodworkingとして家具制作業にシフト。

大自然の広がる北海道黒松内町に工房を構え、たった一人で作業に取り組んでおられます。

 pat woodworking HP

pat woodworking ブログ

pat woodworking instagram



 【以下、抜粋記事】

★森に立っているものでも、道具として使われているものでも、ある程度の年数を経てきた木には何か不思議な魅力があります。

厳しい環境を生き抜いてきた逞しさや、それを乗り越えてきたことから生まれる穏やかさのようなものを視覚的にも雰囲気的にも感じる事ができるからかもしれません。

材の中に現れる木目の表情は樹が生きた期間の物語です。

そして、語ってくれているのは実際その時その場所に存在した物質であるというのが面白いところです。

 

森でも街でも身近に樹は立っていますし、家庭の中にも道具として木は沢山利用されています。

その一本一本、その一つ一つの中に時間の物語があります。

語るのは世界のあちこちで、暑い日、寒い日、嵐に襲われた日、雷に打たれて弱った年、トラブルなく順調だった年、その様々な瞬間に存在し幹になっていった物質です。

時間を実際に見せてくれるというのは木という素材の大きな魅力です。

身近にある樹や、木で作られたものを見て、興味や親しみなどを感じた時にはその表情を見てやってください。

無言ではありますが、過去の瞬間を見せながら何かを語っていると思います。

 

★日々、家具を製作するにあたって、長期間の使用に耐えるモノを作りたいという思いが強くあります。

それには様々な要素を上手く融合させる必要性を感じます。

やれる事の一つとして、木材には長い年月が実際に物質として蓄積されているので、それをいかに上手く引き出すかが重要になります。

同じ材でも切り出す箇所次第でベッピンさんにも無表情で他愛のないものにもなります。

そして、現在使う道具としていかに有意義なものに出来るかを考え、デザインします。

デザインの中には現在と共に未来を含めなければなりません。

木は森林の中で育ったのと同期間、素材として使えると言われます。

150年間森にいた木は150年間道具として使えるという事です。 その素材に対し作り手として、少なくとも150年間耐えうる機能と強度、150年間使いたいと思ってもらえるカタチへとする責任があるので、そう出来るように持っている知識と技術を全てぶつけます。

 

★日本にはもう原始林というものは存在しません。

原始林とは人の手が全くつけられていない地帯の事です。

原始林に準じて、人が入った事はあるが伐採されなかったり、またいくらかされたとしても自然の状態を保てている林を原生林と呼びます。

屋久島、知床、白神山地などが原生林と呼ばれていますが、個人的にはこれらは「原生林」ではなく「原生の名残のある林」と呼ぶのが正確な表現だと感じています。

屋久島でいうと室町時代から杉、桧の伐採が始まり、鹿児島の神社に使われたという記録があります。

豊臣秀吉の命令で建てられた寺や大阪城にも使われている。

江戸時代には年貢として薩摩藩に、そしてそこから江戸へと送られていたのでかなりの量が伐採されていたはずです。

「屋久杉」といえば特徴としてゴツゴツした肌の木や曲がりくねった木を想像しますが、これらは材として利用価値が無かった為に山に残されたのです。

屋久島にも真っ直ぐできれいな肌の杉や桧の大径木の木が沢山あったはずですが、それらは引き出されて今はないだけです。

 

大阪で城を建てる際になぜ遠い屋久島から材を取り寄せたかと考えると、ここには過去の問題点が出てきます。

答えはシンプルです。

関西、中部、四国、中国、九州地方の人力で搬出できる範囲内には大径木がすでに無かったのです。

日本での森林荒廃の第一期は8世紀頃と言われています。

原因は平城京、長岡京、平安京の都と大量の寺社仏閣の建設。

近畿地方の森林の相当部分が失われた。

それからも次第に伐採地域を拡大していき大阪城を建てる頃には南は屋久島、北は東北から材料を取り寄せなければなかったのです。

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