サラ☆の物語な毎日とハル文庫

愛は消えても親切は残る~「雨天炎天」から「ジェイルバード」へ

↑ カート・ヴォネガットさん。絵になる作家。現代アメリカ文学を代表する作家のひとり。

 

★サラ☆です。ハル文庫の高橋さんには、すっかりお世話になり、頭が上がりません。

サラ☆のブログをハル文庫と合体させてもらって、なんとか続けていきたいという申し出を、

友だちだからという理由で太っ腹に引き受けてくれた高橋さん。怒涛の司書です。

今日投稿させてもらうのは、「サラ☆の物語な毎日」寄りの記事です。仕事のこぼれ話。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

ざっくりいうと名言集の仕事にかかわり、自分の感覚になじむ言葉を探した。

ていうか、言葉を選ばないといけなくなって、その最初にこの言葉を思いついたんだけど。

 

「愛は消えても親切は残る」

 

村上春樹さんがディレクターとパーソナリティをつとめるラジオ番組「村上RADIO」で聞いた言葉。

 

愛と親切をくらべたことはなかったけれど、たしかに「愛」という大枠のなかで、「親切」というのは際立って無償の、重苦しさのない、ピュアな行為のような気がする。

 

じゃあ、愛はなくても親切はできる?

いやいや、そもそも他人の存在にたいして、無条件の愛があること。

自分自身が生きていることに、なんのためらいもなく、それどころか感謝や喜びがあることが、人に親切にできる条件のような気がする。

だから、親切というのは愛のなかの一枠じゃないかなと思うのだ。

 

誰だって、親切にされるのは身に染みる。

しかも親切にするのに、知り合っている必要もない。

ただ相手の存在をそこにみとめて、大なり小なり、少しでも生きやすいように手助けをすること。

たとえば落した荷物をひろってあげるとか。

そんな簡単なことでも、親切から出た行為は相手の心に染みるものだ。

 

このタイトルにもあげた言葉は、「親切」って、そんなに大きな意味があった?

と新鮮に心に響く、印象深い言葉だった。

 

この言葉を名言集にいれたいと、出典をたどってみた。

 

ネットで調べているうちに『ほぼ日イトイ新聞』のタモリさんの対談にたどりつき

「その糸井さんの解釈、ちょっとだけ違うような気がする」と思いつつも、

『雨天炎天』にたどりついた。

その部分がこれ。

「タモリ先生の午後」というコーナー。

 

タモリ

最近、「人間関係をうまくやるには、偽善以外にはないんじゃないか」って思ってるんです。

糸井

村上春樹さんが、かつてエッセイで、「僕は親切のことならよくわかる。

愛は消えても親切は残る、と言ったのはカート・ヴォネガットだっけ」

と書いていたのと似た意味のことですか?

(※ほぼ日註:この発言は、村上春樹さんの『雨天炎天』(新潮文庫)に載っています)

タモリ

あぁ、そうかも。

 

そこで『雨天炎天』をアマゾンの古本で取り寄せてみた。

その部分の記述はこれ。

 

それから我々の手持ちの食料もだんだん少なくなってきていたので、

厚かましいとは思ったのだけれど、クレマン神父に

「もしよろしければ何か食べ物をわけていただけないだろうか」と訊いてみた。

クレマン神父は肯(うなづ)いて姿を消し、

しばらくしてからたっぷりと食品を入れた袋を手に戻ってきた。

中にはトマトとチーズとパンとオリーブの漬物が入っていた。

貧しいスキテからこんなに食料をわけてもらうのは申し訳なかったが、

この親切はありがたかったし、実際あとになってすごく役に立った。

カラマルのマシューといい、このプロドロムのクレマン神父といい、

彼らの無償の好意がなかったら、我々はもっとずっとひどい目にあっていたことだろうと思う。

僕には宗教のことはよくわからないけれど、親切のことならよくわかる。

愛は消えても親切は残る、と言ったのはカート・ヴォネガットだっけ。

 

 

たしかに、『雨天炎天』にこの言葉の出どころはあった。

だけど、これじゃあ、もう少しというところ。

本家本元のカート・ヴォネガットまでたどらなくては、ということで調べたら

どうやら『ジェイルバード』という本にでてくるらしい。

 

まず浅倉久志という人が訳した、早川文庫から出ている『ジェイルバード』をみつけた。

ところが残念なことに、浅倉さんは、この言葉を

「愛は負けても親切は勝つ」と訳している。

 

…イメージが違うよなあ。勝ち負けじゃない気がする。

 

原点の英書をあたってみる。

ありがたいことに、プロローグの部分にでてくる言葉なのだ。すぐに見つかった。

 

“Love may fail, but courtesy will prevail.”

 

翻訳家によって、翻訳文はすこしずつニュアンスがちがってくる。

それは仕方がない。

それでも「愛は消えても親切は残る」という訳ほど、心に響くものはないし、

ピッタリくるものはない。

 

ヴォネガットさんは男女の愛が消えた後も、親切にされた記憶は残るといっているのだ。

そんなにも人の心をうるおすものならば、人には親切にしようと思う。

 

きっと「これをしたらこうなる」といった打算抜きの、

心からの思いやりの行為を親切というんだろうな。

 

そんなわけで「愛は消えても親切は残る」をしばらく座右の銘にしよう

と思ったのだった。

 

 

 

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