年中行事って、日本の昔話の世界なんだそうだ。
そう…
「坊や~、よい子だ寝んねしな~♪」の歌い出しの
あの『まんが日本昔ばなし』の世界観。
あの世界をイメージしないと、行事の心がわからなくて、形だけを追うことになり、なんだか古めかしくてつまらない。
昔むかし…、人々は畑を耕し、お米を育てて収穫し、生きていました…とさ。
お米が取れなければ、作物が育たなければ、食べるものがなくなり、生きていけない。
いまみたいにスーパーマーケットでなんでも手に入るわけじゃない。
そもそも、お店なんてないわけだし。
国が飢えても、外国から輸入すれば…、なんてこともない。
昔話の世界では、せいぜい自分たちの村の範囲で自給自足の生活だったと思う。
山の人たちと海の人たちが物々交換したかもしれないけれど、
そんなに遠方から食料を調達する「情報」も「手段」も「お金」もなかったんじゃないかな。
とすると、自分たちの田んぼや畑で作物が収穫できなくちゃ困るのだ。
生きるか死ぬか…という切羽詰まった思いで、必死になって祈ったのが年中行事。
正月に迎える「年神さま」も、農耕の神さま。
不作だった翌年なんか、どうしても年神さまに自分の家に来てもらって運を授けてもらいたい。
「今年こそはいっぱいお米が採れて、お腹をすかすことがないようにしたい」
と祈る思いで正月飾りをしたんじゃないかなーと思う。
『まんが日本昔ばなし』には、村中の人たちが集まって神さまに雨乞いする話もあるし
大晦日というのに食べるものがなく、あるのは藁ばかり。
「馬なら藁を食べても働けるんだけどなー」となげくシーンも出てくる。
日照りが続けば「雨を降らせてください」と祈り
台風や豪雨が襲いかかるとお日さまに「顔をみせてください」と祈る。
もう「祈るしかない」生活だったから、
毎月のように何かにつけて祈りを形にした年中行事が根付いていった。
遠い昔のご先祖さまたちの、その祈る気持ちを想像し、
「よくぞ自分まで脈々と命がつながれてきたものだ」と感謝をしながら取り組むと、
年中行事も俄然いきいきしたものになってくる。
(と、教えてもらった。)