せっかくだから、柴田元幸訳の『オズの魔法使い』を読んでみた。
そして今さらながら、子どもの頃に何度も読み返した文学全集の中の『オズの魔法使い』は、
エピソードが5つほど刈り込まれていたことを知った。
確かに名作童話と銘打たれている児童書には、ダイジェスト版も多いことは知っている。
だけど、自分が読んだものについては、そんなことはない…
というか、そんなこと思いもしなかった。
桜庭一樹さんの古典百名山の記事を読んで、うーん、なるほどと頷きながらも
「そこまで言うほど、深みのある本だったっけ」と疑問が心を掠めたのだ。
明るくて、楽しくて。
案山子は脳みそを、ブリキのきこりは心臓を、ライオンは勇気をもらうのだけど、
それでも、自分の心が痛んだときに取り出して読むような頼りがいのある本だとは思ってなかった。
柴田元幸さんの翻訳を読んでわかった。
かかしも、ブリキのきこりも、ライオンも心の痛みを強く感じているのだ。
抜けていたエピソードというのは、
でもかかしはよく物事を考えて判断できるじゃないか、
でもブリキのきこりはカブトムシを踏み潰して可哀想なことをしたと号泣するほど心優しいじゃないか、
でもライオンは皆を守るために勇敢に困難に立ち向かうじゃないか……と思えるものだった。
本人が心の痛みとして感じていることも、はたから見ると「思い込みじゃないか」と思える。
その客観的な視点を、
つまり本人の視点と他人の視点にはズレがあることを、エピソードを読むことで理解できる。
そういう大事な部分だった。
全体のストーリーを短くする必要から、カットしたのだろうし、
カットするならここだったかも知れないけど、
やっぱりそういうのはよくない。
きっちり翻訳するべきだと痛切に思った。
自分がうかつだったのだ。
どれもこれも、もう一度完訳のものを読み返したほうがいいかも。
柴田元幸さん、古典童話と言われているものを、もっともっと翻訳してくれないかな~。