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NERIMA爺、遅咲きバイクで人生救われる

1997年7月10日

2024年12月07日 | 1997年
7月10日(木)
 軽井沢まで走るが雨にたたられる。目的の碓氷峠までの旧中山道は通行止め。ややがっかり。横川で釜飯を食うまではよかったが、そのあとはひたすら雨。妙義山にいく道も土砂崩れで、ここも通行不可。小雨の中、下仁田の町中でコンニャクを買う――JA直営の別の店で、ここの刺身コンニャクのことを聞いて地図をもらっていた。ミカホ林道を横切るつもりで、峠に向かったが雨が激しくなり、しばらく廃屋の軒先で雨宿り。結局、引き返して下仁田から高速にのるが、この日に限ってカッパをもってきていないので非常につらい。おまけに電光掲示板には、事故渋滞10キロとある。しょうがないので、上里PAで休憩。

 そのうちに渋滞も解除になるだろうと気楽にカレーなどを食う。ところが、建物内にある掲示案内に、今度は別の事故で通行止めとテロップが流れる。次のインターで下りて254をたらたら走るか、通行止め解除までPAで待機するか。迷う。テレビはちょうど大相撲を中継している。若の花の取り組みを観戦。事故のことは忘れて見入る。このままPAで待機することに決める。事故の内容は、大相撲が終わったあととのNHKのニュースで知る。

 どうやらトラックの横転事故らしい。結局、そのあと雑誌を買ってヒマをつぶすが、なかなか解除のテロップが流れない。それでも高速の本線はすごい数の車が走っている。午後7時くらい、雨も止んだころに、いけるところまでいこうと走りだすが、数キロもいかないうちにびっちりと渋滞。車はぴくりとも動かない。すり抜けで10キロ以上走る。

 先頭は事故現場。ところがまさにそこに到着したとたんに、事故処理車の拡声器が通行止め解除をアナウンス。
「……これより通行止めを解除します。先導車のあとについて走行して下さい。安全確認のため、先導車より先に進まないで下さい」
 事故処理車のワンボックス車のすぐあとを走る。時速80キロくらいだが、先頭は非常に気持ちがいい。後ろからあおる車もなし。先導車はそれぞれの車線にいて、他にもバイクが2台ほど併走している。10キロほど走ったところで、先導車は100キロほどのスピードになり、乗用車やトラックがあとに続く。こちら無理をしないで、そのまま80キロで走行車線を走る。次々に車が追い抜いていくが、新座料金所は滞ることなくスムーズに通過する。
 かなり疲れたが、いい経験をする。