拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

開管楽器と閉管楽器

2024-07-06 21:33:51 | 音楽

昨日、横野君にブログを書かせたら、自分とこの御姫様の集合写真(一部丸写真)を載せて、御姫様方のご機嫌を取り結ぶ話ばかり書いてたけど、そういう昼ドラ的な話は横野君に任せるとして(昼ドラで一番印象に残ってるのは「牡丹と薔薇」)、私は、横野君とこの木管一族について深掘りをしたいと思う。

横野君は、パーツが一番多い=組立てに時間がかかるのはどれか、それはクラリネットって書いてたけど、そんなのは組み立ててしまえばどうでもいいこと。私は、三人の御姫様について、それ以外の異同に注目したいと思う。

現実の素材で言えば、写真で見る横野君ちの御姫様については、フルートが金属製で、あとは木製。でも、分類的には全部が木管楽器。要は、大昔はどうだったか?てことですね。オーボエとクラリネットだって、黒光りしてたって安いヤツは合成樹脂だからね(横野君とこのオーボエとクラリネットは文字通り木製)。フルートには金、つまりgold製のものもあるんだってよ。ある人が、この物価高のご時世、価値が下がらないのは金、だから金歯にして肌身離さないって言ってたけど、金ぴかのフルートも物価対策になるのかしらん。

三種のうち、リードを使うのがオーボエとクラリネットで、フルートは唇で直接触れあう(ちょっと淫靡)。

さあ、ここから今日のメインテーマ。開管楽器か閉管楽器かって話。開管楽器は管の両端が空いていて、閉管楽器は一方が空いてるけど他方がふさがってる楽器を言う。すると、フルートは管の一方の端に吹き口があって、他の端は空いている。だから開管楽器。それに対し、クラリネットは、ベルの部分はおおいに開放してるけど、反対側は、少し開いてる穴はリードで塞がれ、そのリードを震動させて音を出す。だから閉管楽器である。すると疑問なのはオーボエ。ベルの反対側の小さい穴は二枚舌で塞がれリードの震動で音を出す。だったらクラリネットと同じじゃんけ。ところが、一般に、オーボエはフルートと同じ開管楽器に分類されている。これは一体なにごとぞ?こういうことらしい。フルートのような開管楽器は、鳴る倍音が偶数倍音。近いところでは2倍。すなわち、オクターブである。だから、例えばソの指遣いのまま息を速めるとオクターブ上のソが出る。それに対し、クラリネットのような閉管楽器の場合、鳴る倍音は奇数倍音。近い所では3倍。すなわち、オクターブと5度である。だから、例えばドの指遣いのままオクターブキーを押すと、オクターブ上のドの上のソが出る。ではオーボエは?ソの指遣いのままオクターブキーを押すとオクターブ上のソが出る。フルートと同じでこれは開管楽器の特徴である。だから開管楽器ということのようである。すなわち、実際に開管か閉管かいうことではなく、鳴る倍音によって開管楽器か閉管楽器かが決まるのである。

おまけその1。オーボエが閉管楽器っぽいのに偶数倍音が鳴るのは、その形状(下に行くほど管が広がる円錐形)が関係しているそうである。

おまけその2。同じリード楽器と言ってもクラリネットは一枚舌なのに対し、オーボエ(ファゴットも)は二枚舌である。

おまけその3。組立てはクラリネットが一番大変と言っても、リードのことを考えると、支度に一番時間がかかるのはオーボエである。横野君などは、元来いい加減な人間で適当に鳴りゃあいいと思ってるからリードも完成品をポチってすましているが、オーボエのプロはリードを手作りしていて、オーボエの練習時間よりもリードの作成時間の方が長かったりするそうだ。

おまけその4。そうは言ってもやはりクラリネットの組立ては面倒。いったい、毎回組み立てて、練習が終わったら分解する必要があるのだろうか。それで思い出すのは、横野君の思い出話。高校の頃、クラリネットを吹き終わったら必ず分解してパーツごとに布を通して水を拭きとらなければならない、分解しない状態で上から下まで布を通して拭いたりしてはいけない、と先輩に教わったのだが、某N響のトップを吹いてた某奏者の講習会に行ったら、某奏者は、思いっきり分解しない状態で上から下まで布を通して拭いていた、後でみんなで「あれでいいのかね?」と言い合ったそうである。因みに、その奏者は、派手なネクタイをしていて、分解しない状態のクラリネットの管に通して拭くのに十分な長さを備えていたそうである。

 

 


小林薫/尊属殺重罰規定

2024-07-06 09:49:55 | 朝ドラ

今週、穂高先生がめずらしく大声を挙げた(朝ドラ)。だが、もともと演じる小林薫さんは、大声を挙げる役が得意である。カーネーションのお父ちゃんしかり。「東京タワー オカンと僕 ときどきオトン」の冒頭で酔い潰れて玄関をたたき壊すお父ちゃんも誰かと思ったら小林薫だった。だから、穂高先生のような温厚な役を演じる小林薫を見て、こんな役もこなすんだ、役者さんってすごいなーと思ったものだった。今週、穂高先生が寅子にやり込められて、大声を挙げたのを見て、ようやく「来たー」と思った。このときの穂高先生はちょっと可愛そうだった。翌日、仲直り(らしきもの)ができて良かった。その後すぐに穂高先生は亡くなったから。あれで、仲直りせずに死なれていたら寅子のダメージはマリアナ海溝並みだったろう(深いということ。世界最新がマリアナ海溝で、第2位が日本海溝である。2位と言えば、七夕決戦で誰が2位になるかに注目が集まっている)。

ところで、穂高先生は、尊属殺重罰規定(直系尊属を殺した犯人は死刑又は無期懲役に処すとしていた旧規定)が合憲か違憲か(つまり、尊属を殺した犯人と尊属以外の人を殺した犯人とで刑が違うのは平等原則を定めた憲法に違反する(違憲)のではないか)が問題となった事件で、当該規定が違憲であるとの反対意見を唱えたのだが、反対意見は穂高先生を含めて二人だけで、このときは当該規定は合憲(憲法には違反しない。尊属殺人犯を重く罰してもよい)となった。だが、ドラマで言っていた事件内容(父親から鍋や鉄瓶を投げつけられた被告人がついかっとなって鉄瓶を投げ返したら運悪くそれが父親の頭に当たって父親が死んだ)なら、そもそも殺人罪ではなく傷害致死罪ではないか?との疑念が湧いた。「当たって死ぬかもしれない、でもいいや」という未必の故意が認められたのだろうか。因みに、尾野真千子のナレーションが「この規定が再び20年後に問題となった」と言っていた。それは昭和48年の最高裁判決である。事案は、日頃から実父による性的被害に遭っていた娘が(何度も実父の子を妊娠した)、ようやく彼氏ができてこんな生活から抜け出せると思ったのに実父にじゃまされて、思いあまって実父を殺害したという案件。最高裁は、当該規定を違憲と判断し、被告人に執行猶予を言い渡した。この「執行猶予」がポイントである。この事件、どう考えても被告人が不憫だから執行猶予を付けたいところだが、当該規定が幅を効かせていると、どんなに刑を軽くしても懲役3年6か月がいいとこで、それだと執行猶予(懲役は3年以下であることが条件)を付けられなかったのである。だから、当該規定を違憲無効として、被告人に普通の殺人罪を適用する必要があったのである。

因みに、最高裁ってとこは相当に保守的で、滅多に「法律が憲法に違反して無効」とは言わない。最高裁が最初に違憲無効としたのが当該規定である。そう言えば、つい先日、優生保護法についても最高裁は違憲であると宣言した。

因みの因みに、ドラマの中で、寅子が、「尊属殺」のことを「上の世代の人を殺すこと」と言っていたが、これだと、親戚でもなんでもない赤の他人を殺した場合も含まれるように聞こえて相当ではないと思った。

なお、本日のタイトルを見て、小林薫自身と尊属殺重罰規定との間になにかしらの関連性を感じたならば、それはまったくの誤解である(断るまでもないだろうが)。同様のことは昨日のアサイチにもあって、「ファーストサマーウイカ/打首獄門同好会」と並べて表記すると、まるで清少納言が打首獄門になったみたい、というのはご本人の感想であった。なお、打首獄門同好会のベーシストのjunkoさんが私とタメであることは昨夜のブログにも書いたが、あまりに驚異的で、かつ嬉しいのでここに再掲する次第である。