スカパーで「マイケル・ジャクソン:ライフ、デス&レガシー」を観た。
マイケルが亡くなった後、多くの彼の偉業を讃える番組は放送され、多くのスキャンダルと裁判についての誤解が明らかにされた。
私はマイケル・ジャクソンが大好きなはずだった。
東京ドームのライブにも行ったし、自伝も読んだ。
アメリカに渡ってからたびたび訊かれた「アメリカで好きなスターは?」の質問には、必ずマイケルの名を挙げた。
だが、毎日のように雑誌の表紙をにぎわす彼の奇行や容貌の変化、そして児童虐待の報道に、すっかり幻滅を感じ始めていた。アルバムは買ったが、以前のように光るものを感じることもできなくなっていた。
マイケル自身がテレビに出演して無実を訴えようとも、お金にものを言わせて放映権を買い取って弁明することに疑問を感じ、白くなりすぎた容貌は彼自身が病名を言ったのをこの目で観ても、白人に憧れての行動としか受け止めなかった。
裁判については細かい報道がなく、最初の事件で示談にした時にはかえって疑惑を濃くしただけだったし、二度目の裁判はパジャマ姿で裁判所に現れた彼に眉をひそめた。
亡くなった途端、手のひらをかえしたようにマイケルを擁護する番組が放送され、虐待事件の真実を知った。
薬でぼろぼろになりながら「子供たちのために…」と語るマイケルの声を聴きながら、私はマスコミに踊らされて報道の方を信じた自分を恥じた。
沖さんの死から何も学んでいなかった自分を恥じた。
マイケルの友人が言う。
「悲しかったのはマイケルが死んだ後、急に沢山の人がファンだと名乗り出たことよ。だったらなぜ彼を助けなかったの」
沖さんの死後、死人に口なしとばかりにハイエナのように日景さんをつついてしゃべらせては面白がったマスコミ。
あることないことを並べ立て、故人を踏みにじった人々。
それを信じて心ない噂を広めた市井の人々をあんなに憎んだのに、私がマイケルにしたことは全く同じではないか。
今日は大原麗子さんの没後3年ドラマスペシャル「大原麗子 ~炎のように」も観た。
大原さんと沖さんは「火の鳥」「決定版!蒲田行進曲」で共演している。
「決定版!蒲田行進曲」にも出演されていた川島なお美さんも出ていらして、なんとなく1983年、沖さんが亡くなられた翌日に放送されたその番組を思い出しながら観ていたのだが、ふとその数年後に大原さんを見かけたことを思い出した。
六本木のお鮨屋さんに入ると、大原さんが一人でカウンターで飲んでいた。
誰かと待ち合わせかと思ったが、そうでもないらしい。
私はその頃お世話になった女性社長と一緒だったのだが、彼女のご主人の職場に大原麗子がいるからすぐに来るように連絡してくれと頼まれて電話した。
「すみません、大原麗子さんが来ているのですぐに来て下さい」
こんなおバカな電話に真面目に応じるのが某省庁キャリアのご主人で、
「え!悪いんだけどこれからすぐ行くから、待ってるように言って。お願い」
そんなことが言えるはずはなかったので、どうか帰らないでくれと斜めから見守っていると、大原さんはちびりちびりとお酒を飲みながら、お店の人と話している。
よかった、まだ帰りそうにないなどと思いながら、ついつい大原さんの方を盗み見していたのだが、すぐに若い人たちのグループが入って来て大原さんをみつけ、大騒ぎになった。
握手、乾杯、拍手…。一緒に飲みましょうということになり、大原さんは嬉しそうにそのグループの席に入って飲み始めた。
大女優さんなのに意外と気さくなんだなあと思っていたが、若い人たちはすぐに食べ終わって
「ありがとうございました。頑張って下さい!」と言って店を出て行った。
そして、私は大原さんが彼らを笑顔で見送った後、大きなため息をついたのを見逃さなかった。
カウンターに戻って肘をついてまたお酒を飲み始める姿は美しく絵になってはいたが、その華やかな容貌とは裏腹に、全身から寂しさがあふれ出していた。
同時期に大原さんの別れたばかりの森進一さんも同じ六本木でみかけた。
知り合いが働いているバーに、彼もたった一人で開店前にやって来て、たった一人でお酒を飲み続けた。
スターだからといって、いつもちやほやされているわけではない。
むしろ、いつもちやほやされているからこそ、孤独がもっと身にしみるのかも知れない。
平井堅の「告白」を聴いて愕然とした。
あなたも笑いたいときではなく笑うべきときに笑っているのですか。
マイケルが亡くなった後、多くの彼の偉業を讃える番組は放送され、多くのスキャンダルと裁判についての誤解が明らかにされた。
私はマイケル・ジャクソンが大好きなはずだった。
東京ドームのライブにも行ったし、自伝も読んだ。
アメリカに渡ってからたびたび訊かれた「アメリカで好きなスターは?」の質問には、必ずマイケルの名を挙げた。
だが、毎日のように雑誌の表紙をにぎわす彼の奇行や容貌の変化、そして児童虐待の報道に、すっかり幻滅を感じ始めていた。アルバムは買ったが、以前のように光るものを感じることもできなくなっていた。
マイケル自身がテレビに出演して無実を訴えようとも、お金にものを言わせて放映権を買い取って弁明することに疑問を感じ、白くなりすぎた容貌は彼自身が病名を言ったのをこの目で観ても、白人に憧れての行動としか受け止めなかった。
裁判については細かい報道がなく、最初の事件で示談にした時にはかえって疑惑を濃くしただけだったし、二度目の裁判はパジャマ姿で裁判所に現れた彼に眉をひそめた。
亡くなった途端、手のひらをかえしたようにマイケルを擁護する番組が放送され、虐待事件の真実を知った。
薬でぼろぼろになりながら「子供たちのために…」と語るマイケルの声を聴きながら、私はマスコミに踊らされて報道の方を信じた自分を恥じた。
沖さんの死から何も学んでいなかった自分を恥じた。
マイケルの友人が言う。
「悲しかったのはマイケルが死んだ後、急に沢山の人がファンだと名乗り出たことよ。だったらなぜ彼を助けなかったの」
沖さんの死後、死人に口なしとばかりにハイエナのように日景さんをつついてしゃべらせては面白がったマスコミ。
あることないことを並べ立て、故人を踏みにじった人々。
それを信じて心ない噂を広めた市井の人々をあんなに憎んだのに、私がマイケルにしたことは全く同じではないか。
今日は大原麗子さんの没後3年ドラマスペシャル「大原麗子 ~炎のように」も観た。
大原さんと沖さんは「火の鳥」「決定版!蒲田行進曲」で共演している。
「決定版!蒲田行進曲」にも出演されていた川島なお美さんも出ていらして、なんとなく1983年、沖さんが亡くなられた翌日に放送されたその番組を思い出しながら観ていたのだが、ふとその数年後に大原さんを見かけたことを思い出した。
六本木のお鮨屋さんに入ると、大原さんが一人でカウンターで飲んでいた。
誰かと待ち合わせかと思ったが、そうでもないらしい。
私はその頃お世話になった女性社長と一緒だったのだが、彼女のご主人の職場に大原麗子がいるからすぐに来るように連絡してくれと頼まれて電話した。
「すみません、大原麗子さんが来ているのですぐに来て下さい」
こんなおバカな電話に真面目に応じるのが某省庁キャリアのご主人で、
「え!悪いんだけどこれからすぐ行くから、待ってるように言って。お願い」
そんなことが言えるはずはなかったので、どうか帰らないでくれと斜めから見守っていると、大原さんはちびりちびりとお酒を飲みながら、お店の人と話している。
よかった、まだ帰りそうにないなどと思いながら、ついつい大原さんの方を盗み見していたのだが、すぐに若い人たちのグループが入って来て大原さんをみつけ、大騒ぎになった。
握手、乾杯、拍手…。一緒に飲みましょうということになり、大原さんは嬉しそうにそのグループの席に入って飲み始めた。
大女優さんなのに意外と気さくなんだなあと思っていたが、若い人たちはすぐに食べ終わって
「ありがとうございました。頑張って下さい!」と言って店を出て行った。
そして、私は大原さんが彼らを笑顔で見送った後、大きなため息をついたのを見逃さなかった。
カウンターに戻って肘をついてまたお酒を飲み始める姿は美しく絵になってはいたが、その華やかな容貌とは裏腹に、全身から寂しさがあふれ出していた。
同時期に大原さんの別れたばかりの森進一さんも同じ六本木でみかけた。
知り合いが働いているバーに、彼もたった一人で開店前にやって来て、たった一人でお酒を飲み続けた。
スターだからといって、いつもちやほやされているわけではない。
むしろ、いつもちやほやされているからこそ、孤独がもっと身にしみるのかも知れない。
平井堅の「告白」を聴いて愕然とした。
あなたも笑いたいときではなく笑うべきときに笑っているのですか。
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