新・日常も沖雅也よ永遠に

お引越ししました。

突然の別れ

2011-03-22 14:10:00 | 沖雅也
自分はいつ死んでもいいさと投げやりになっている人ですら、じゃあたった今と言われたら、ちょっと今は困ると答える。
死という究極の選択を前にして「今日は見せられない下着だから」とか「部屋を片付けて来なかった」とか、どうでもいいようなことが引っかかったりするのだ。

病気で命を落とすことは悲しいことで、あと少しの寿命と告げられたら、それこそ心残りが山ほどあってもだえ苦しむだろう。
だが、事故死だったらそれを考える時間すらなく、上下が揃わない下着で脱ぎ散らかした服を部屋に置いたままになる。
家族にとっても、突然の死は大きな心残りに苦しむことになる。

沖さんが亡くなった二年後、520名が亡くなった日航機落事故があった。
救出隊が機体へ到着したのが事故の翌日ということもあり、乗員乗客の生存は絶望視されたが、奇跡的に4名が救出されたというニュースが入る。
中でも十二歳の少女がヘリコプターで救出される様子は感動的に報道され、その少女が美しかったことから日本中が沸いた。
同乗していた家族が命を落とすのを目の当たりにしながら生還した悲劇のヒロインとして、連日彼女の様子がメディアを騒がせていたその頃、当時事務職だった私が一人で留守番していた事務所に化粧品の販売員がやって来た。
販売員といっても、どうも社長との仲に疑惑がある女性だったので無下に追い出すことも出来ず、いつも彼女の機関銃トークに適当に相槌を打っていたのだが、その日の彼女は案の定その少女のことについて熱弁を奮った。
「私ね、事故が起こった時、仏壇に手を合わせてお祈りをしたのよ。いい子は助けて下さいって。そしたら、やっぱりいい子が助かってたじゃない。私のことだから下着で祈ったりしちゃうんだけど…」

いい子が助かった?
それでは、亡くなった他の子はいい子じゃなかったのか?


命があった者を人は「運が良い」と呼ぶ。
それは本当にそう思う。
では、命を落とした者は「運が悪い」で片づけられるのか。


沖さんが亡くなってから、私は運命というものを考えずにはいられなかった。
あれは沖さん自身の運命だったのだと自分に言い聞かせなければ自らを保つことが出来なかったからだが、三十一歳で自殺という形で命を絶ったことを「運が悪い」とは思わないようになった。
いい人生だったじゃないか。
不幸な生い立ちというが、両親が離婚する家は多い。進学が叶わず働き始める者も多い。
孤独と裏切りに傷ついたことがないと言い切れる人間の方が少ない世の中だ。
たいがいの人間はそのまま市井に埋もれ、ある者はそのまま一生孤独だけを友とし、ある者は信じた相手からの裏切りに人生を変えられる。
沖さんは、家出して一年もせずに芸能界にデビューし、三年もしないうちに脚光を浴びている。役者を目指し役をもらうことに躍起になっている人がどれ位いるだろう。その中で沖さんは今も人々の心に残る役をいくつももらっているし、今も私のように沖さんナンバーワンの人生を歩む人は多い。
愛され続けている。

突然の死がどれだけの重みをもって自分にのしかかって来るのか、それはその人との生前のかかわり方や思いの大きさによって違うだろう。
だが、突然の別れは病死による別れより心の恢復が遅れるというのは身をもってわかっているつもりだ。

今回の大地震と津波で、一瞬にして愛する者の命を奪われた方々の気持ちを思うと、今日も自分のことのように胸が痛む。
だが、亡くなった方の人生を不幸だったと振り返るのは失礼だと私は考え、ただただ冥福を祈り、残されたご家族のために少しでも役に立てるように努力するだけである。

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