『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

野村直隆(のむらなほたか)

2018-10-06 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
野村直隆(のむらなほたか)

〔現代仮名遣い〕のむらなおたか

※下線部は信長公記以外の記事によります。


肥後守。浅井長政の旧臣。国友城の将。

1570年6月信長の浅井攻めの時、浅井方として

    横山城に篭城。

1571年織田信長に抵抗し、宮部継潤の来襲を撃

退した。のち信長に降り、ついで秀吉に仕え、鉄

炮頭となり国友城で二万石。

1590年小田原の役では銃士を率いて戦う。朝鮮

征伐の際も銃士を率いて肥前名護屋城に詰める。

1595年秀吉の草津湯治のとき、真田氏の支城信

濃浦野城を警備。

1600年関ヶ原の戦いでは西軍として伏見城攻め

の軍監であった。



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