『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

久我通俊(こがみちとし)

2017-02-28 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
久我通俊(こがみちとし)

〔現代仮名遣い〕こがみちとし


久我殿。1557年7月権大納言。

1568年10月入洛戦後の能では、義昭の使い

    として久我通俊・細川藤孝・和田

    惟政が信長に副将軍・管領職を勧める

    も、信長は辞退。


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