『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

下津権内(しもつごんない)

2017-08-09 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
下津権内(しもつごんない)

〔現代仮名遣い〕しもつごんない


細川藤孝の臣。

1573年8月淀城の戦いで岩成友通の頸をとり、

    高島の信長のもとへ持参。

1577年2月信長雑賀攻めに参戦。

1577年2月雑賀へ向けて浜手を進軍し、谷の

    輪から先は二番目の方面から攻め込み、

    一番鑓をつとめる。中野に出てきた信長

    から、お褒めの言葉を頂く。


↓ランキングに参加中。クリック応援よろしくお願いします!
にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ
にほんブログ村
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 下川弥九郎(しもかはやくらう) | トップ | 下間仲之(しもつまなかゆき) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

信長公記の蔵:人物篇」カテゴリの最新記事