『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

千秋季光(せんしうすえみつ)

2017-10-16 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
千秋季光(せんしうすえみつ)

〔現代仮名遣い〕せんしゅうすえみつ


紀伊守。熱田宮大宮司千秋季平の子。

1547年9月信秀美濃攻めの時、退却時に道三

    方から追い討ちをかけられ討ち死に。


平清盛の侍藤原悪七兵衛景清が所持していた

名刀あざ丸を所持していたという。「あざ丸」

は千秋紀伊守→陰山掃部助(美濃方)→丹羽五

郎左衛門→熱田神宮とつたわった。紀伊守は討

ち死に、掃部助は目をいられ、五郎左衛門は

目を患ったという。源平盛衰記にはこの「あざ

丸」は出てこない。


 ※熱田宮大宮司家が代々いくさ好きで、

  季光も美濃攻めの帰りに討死とは、

  壮絶な時代ですね。剃髪した同朋衆

  (仏僧)は敵方も攻めないとは思い

  ますが、髪があって兜をしていれば

  宮司は攻撃されるんでしょうね。逆

  に取り巻きの連中が「熱田宮大宮司

  千秋殿をお守りしろ~!」と信秀か

  ら命じられ大変だったかもしれませ

  ん!たたりがこわいでしょうから・・

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