『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

狩野永徳(かのうえいとく)[2/2]

2016-08-22 06:30:00 | 信長公記の蔵:人物篇
狩野永徳(かのうえいとく)[2/2]

〔現代かなづかい〕かのうえいとく

 ※下線部は信長公記以外の記事によります。


織田信長についで羽柴秀吉にも用いられて、

大坂城・聚楽第に一門を率いて描き、狩野派

様式を名実共に完成させて当代画壇の第一人者

となった。御所や諸寺の襖絵の執筆も種々伝え

られるし、現在京都の諸寺に伝永徳の障屏画は

数多くあるが、信ずべき遺品は存外少ない。

唯一の確実な遺品・御物で最も有名な金地濃彩

の「唐獅子図屏風」(1582年秀吉が毛利氏との

講和の際に贈った陣屋屏風と伝え、明治まで

毛利家に伝来)には孫の探幽の紙中極(しちゅう

ぎわめ)があり、「松鶴芦雁図屏風」には同じく

安信の紙中極がある。また「檜図屏風」は、

永徳筆にいささか疑問を残しながら、その豪壮の

構図・筆致に永徳様を忠実に伝え、「松鷹図屏風」

も永納の紙中極を持ち、また永徳様を伝えている。


 ※本記事部分は「戦国人名事典」を

  参照しています。


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