弘法山へ行ってきました。
弘法山は東丹沢の神奈川県秦野市に有る山と言うよりも住宅地裏の丘と言う山。
最寄駅は小田急線秦野駅で、2つ新宿寄り(東寄り)の鶴巻温泉駅方面に東西に延びる丘陵です。
西から浅間山、権現山、弘法山、吾妻山と続いています。
今回は秦野駅で下車し、昼食を食べてから鶴巻温泉駅迄歩きました。
家を出たのは11時過ぎ。
相模大野の駅ビルに寄った後、秦野駅の箱根蕎麦で昼食を摂り、駅の近くのコンビニで飲み物を購入してからの出発。
既に13:30分過ぎ。
こんなにゆっくりなスタートでも大丈夫なのがこのコース。
気楽な
お散歩気分の丘歩きです🎵
水無川沿いの道を歩き、右折して弘法山公園入口に向かいます。
トイザらスの向かい側と言う方が地図で探す時には分かり易いかな?
ユキさんとは初めてなので、独身時代に来て以来か・・・。
でも、1人で蓑毛かヤビツ峠から弘法山の方へ尾根道を下った事が有ったなぁ。
あの時は善波峠から秦野へ降りたか、鶴巻温泉へ向かったか…覚えていないなぁ。
あれは結婚後ではなかったっけ?
結婚後だとすれば、その時以来かな?
どちらにしても秦野駅へ向けて下山に使うコースなので、此処から登るのは初めてです。
何時も夕暮れ時の到着なので、
「明るい日中だとこんな感じなんだ」
と、新鮮な感覚でした。
川を渡り、川沿いの道を少し行くと山に入る道が現れます。
今回は完全にタウン用の装備。
登山靴も登山リュックも雨雲無し。
スニーカーに、普段使っているタウン用のリュックです。
スニーカーでの山歩きって何時以来だろう?
登山靴を持っていない時代以来かも知れないなぁ・・・。
ちょこっと上ると尾根の先端に出ました。
此処から麓の川に向かって急斜面になっているので、「尾根の終点」と言う感じの場所です。
此処には小さな祠が。
少し土が盛られている様に見えます。
祠の前には小銭とドングリのお供え物が。
神様がリスとかネズミだったら、木の実で喜んでもらえそうだけれど、どうなんだろう (。´・ω・)?
祠の中には木の板が。
空っぽか、お札が入っている事のどちらかなのだけれど、此処は「手書きの木の板」。
『浅間大神』
浅間信仰なのは分かるけれど、マジック書きの手作りか。
尾根の先端なので、眺めが良さそうなのだけれど、木々が邪魔して眺望には恵まれません。
木々が無ければ、丹沢の山々と富士山が見える場所です。
浅間山に到着。
浅間信仰や富士山信仰で、彼方此方に浅間山や富士見塚、富士見台等と呼ばれる場所が有りますね。
此処は浅間山。
でも、神社や祠は有りません。
此処からの眺めもなかなか。
雪を被った富士山がはっきりと見えます。
相模湾も。
江ノ島と背後の三浦半島、房総半島、相模湾の先には大島も見えました。
ヤブムラサキの木が多く生えていました。
実を沢山付けていて、紫の実が目立っていました。
紅葉も綺麗だったなぁ。
緑と黄色、赤、グラデーションが綺麗でした。
浅間山を過ぎ、道路を渡ります。
尾根を横切る様に車道が通っています。
落石注意の標識も。
「落ちてくる石に注意」ではなく、「落ちている石に注意」と言う事だそうだけれど、この図案だと「落ちてくる石に」と言う感じ。
こんなのが落ちてきたら一溜まりもないよね…。
権現山の山頂に到着。
展望台に上りました。
この展望台は小田急線の車窓からも良く見えます。
大涌谷の蒸気ですね。
「秦野からも見えるんだなぁ」
と、改めて勢いよく蒸気を噴出している大涌谷の変化を実感しました。
此処からの富士山もなかなか。
思いのほか眺めが良い。
お薦めの場所です。
山頂はほぼ平らで広い広場なのですが、建造物が増えましたね。
戦争で亡くなられた方の慰霊碑が場所を変えて建て直されていたり、その他の彫像が設置されていたり・・・と、随分変わったなぁと思いました。
皆新しいものばかり、以前はボロボロで壊れそうな看板やら何やらが有ったと思ったけれど。
権現山からなだらかで長い階段を下ると砂利道に出ます。
此処が『馬場道(ばばみち)』。
昔、草競馬をした場所で、そのことについて記された案内番を読んだ記憶が有るけれど、見つからなかったなぁ。
この先に右側へ下る道が有る。
百八体(ひゃくはったい)についての案内板も有る。
お祭りについての説明で、藁で作った人の背丈よりも長い松明(たいまつ)を山の上にあげ、火を付けた後、各自が担いで山を下りる無病息災を願う祭りです。
8月14日に行われるので、お盆休みの真っただ中。
見てみたいなぁ。
『かながわ景勝50選弘法山』と刻まれた岩。
50選は1979(昭和54)年に制定された物。
弘法山の山頂。
何時も何匹も猫がベンチの上に居たのだけれど、今回は居なかったなぁ。
たまたま居なかったのか、今は猫の姿が見られなくなってしまったのか。
何方なのだろう?
乳の井戸です。
井戸の向こうにポンプ式の井戸も有ります。
釣瓶井戸は格子の多いがされているので、使用する事が出来ません。
ポンプの方は、現在でも水が出ます。
「白く濁った水がでて、これを飲むと乳の出が良くなる」
と言われていたそうです。
釈迦堂。
焼失を経験し、現在の建物は1964に建てられたものとの事。
釈迦堂の後ろに銀杏の大木が有ります。
沢山のぎんなんを付け、辺りにぎんなんの匂いが漂っています。
弘法山から先に行くと善波峠への分岐に着きます。
左に行くと善波峠で、尾根道は直進しています。
善波峠は十字路で、前方には念仏山、高取山を経て大山へ繋がる登山道が伸びています。
左右は麓に下りる道路で、右は麓に有り、この山を貫く国道246号の善波トンネルへ向かいます。
峠には古い石仏が並んでおり、国道の車の音さえ聞こえなければ、
『切り通しの古道の峠』
と言う感じの趣の有る場所です。
引っ切り無しに聞こえる車の音と、善波トンネルとこの山との間に立ち並んでいるラブホテル群が、古道の趣や此処までの山歩きの印象を変えてしまうのがチョットなぁ・・・。
写真は吾妻山の山頂。
最後の山頂です。
此処ははっきりとしたピークと言う感じではなく、弘法山からだと
「下りの途中の平らな場所」
と言う感じ。
細長くて狭い山頂部には『吾妻神社』と刻ませた岩と四阿(あずまや)、説明書きが記された看板が有ります。
現在の横須賀市に有る走水から船で房総半島へ渡ろうとした日本武尊は、海が荒れて難儀します。
妻である弟橘比売(おとたちばなのひめ)は、海神を鎮める為に船から身を投げます。
海は静まり、無事東征を続ける事が出来た日本武尊は、東征後に三浦半島が望める地に立って亡き妻を思い、
「あずま はや」
と詠み、その地がこの吾妻山と言われているとの事。
木々の枝でちょっと見え辛い。
見える範囲は狭いですが、何とか三浦半島が見えます。
吾妻山から少し下ると、畑の間の道となり、その先がT字路になっています。
石の道標と木製の道標が有り、右が鶴巻温泉方面。
街へ降り、東名高速の下を潜り、道なりに進むと鶴巻温泉の有名旅館『陣屋』に突き当たります。
駅は此処で右折します。
将棋の名人戦の舞台だったり、鎌倉時代の和田合戦の当事者である和田義盛の屋敷跡出会ったり、大正時代に創業した高級旅館です。
宿泊料金をみたけれど、平日でも4万円以上。
休日だと8万円以上…。
日帰り入浴だと2000円なので(周辺の旅館と市営浴場の弘法の湯は1000円)、此れなら可能だけれど・・・。
鶴巻温泉の駅前。
トイレの前は、農作物の市が行われるとの事。
手洗い用の温泉が設置されていました。
数年前この広場で掘削された源泉から引かれた物で、弘法の湯で利用されているとの事。
弘法の湯も循環式の温泉ですが、この手洗い用の温泉は『源泉100%かけ流し』との事。
加水されていません。
『38.8度、毎分300リットル、カルシウム、ナトリウム塩化物温泉』
足湯ならぬ手湯なら出来るかな。
手だけすべすべになったりして。
道路の向かい側の豆芳に寄り、秦野名物の豆菓子を色々購入して帰宅しました。
昼過ぎに山に入り、普段着で丘陵地帯の端から端迄、浅間山・権現山・弘法山・吾妻山と4つの山を縦走。
歴史を感じ、景色と森林浴と鳥のさえずりを聞きながらと、気楽に楽しめた山散歩でした。
権現山の看板で新たに知ったのが、近年の発掘調査でこの辺りに城郭の遺跡が発見されたという事。
権現山の斜面を加工した物で、室町時代の物と思われるそうだ。
確かに秦野盆地にポコっと有る横長の丘陵地。
西側は川が有って急斜面なので、天然の堀と急斜面の要害と言う感じはした。
鎌倉時代からこの辺りを収めた波多野氏の波多野城とされていた地は、調査の結果「城・邸宅跡ではない」と言う事が近年分かった。
普段の屋敷はその付近に有ったと思われているが、戦を想定した場合は、この丘を利用する事を考えたとしても不思議ではない。
記録が残っていない事から小田原北条氏の治世迄、長い期間利用された大規模な城郭では無かったのだろう。
久々に訪れた山で、新たな魅力や新事実やら色々な事を知ったなぁ。
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