ある晴れた日の窓辺。
当時、私の住んでおりました神楽坂のお部屋の畳の上においていたラジカセ(今は死語?)のNHK-FM放送から、久留米にお住いの久富一郎さんとおっしゃる検校さまのお声が流れてまいりました。
確か七十代でいらしたかと存じますが、淡々とお話になる少ししわがれたお声の魅力的なこと・・・。
Q:「久富さんは地唄が大変お好きだというように伺っていますが、それはどんなところにでございましょうか?」
「はい、三味線の中では、何といいいましても地唄が一番むつかしんでございます。
むつかしいだけに品がよくて、とても気持ちがよいものですから好んでまいりました。」
Q:「では、久富さんの目指していらっしゃる三味線と唄とは?」
「地唄らしい素朴な雰囲気をこわさん様にと心がけております。」
「昔から、地唄の三味線は、風の吹いて風で鳴らしたと聞いとります。
なるほどそうやと思いまして、出来るだけ楽に弾いて、楽に聴いてられる三味線をと思うとります。」
そうして演奏して下さいましたのが、地唄『ままの川』。
夢が浮世か 浮世が夢か 夢てふ里に住みながら 人目を恋と思ひ川
うそも情もただ口先で 一夜流れの妹瀬の川を・・・
お嬢様がお箏を合せられ、それはそれは結構なお唄と演奏でございました。
その当時の神楽坂と申しますと、一筋入れば、どこからともなくお三味線の音が聞こえ、夕暮れどきともなりますと、あの狭い坂道に黒塗りの立派な車がずらりと並んだその脇を、左褄を取ったお姉さま方が登っていく後姿に、娘心にもうっとりとため息をついてお見送りしたものでございます。
今は昔、私が18歳の頃のことでございます。
お稽古をちょっと中休みして、お調子を合わせたままにしてあるお箏に、開け放った窓から入ってくる五月の風がそよそよあたりますと、リリィィ~ンという涼やかな音を立てて、絃がひとりでに鳴り始めることがございます。
あっ、お箏が風に鳴って・・・なんてきれいな音!!
お三絃をお膝にかかえようと、そうっと持ち上げるかすかな空気の流れに、三絃が嬉しそうにビィィ~ンと響いて鳴ってくれることもございます。
そんな優しい響きを聴くたび、あの日ラジオから流れてきた『ままの川』を今でも懐かしく思い出します。
当時、私の住んでおりました神楽坂のお部屋の畳の上においていたラジカセ(今は死語?)のNHK-FM放送から、久留米にお住いの久富一郎さんとおっしゃる検校さまのお声が流れてまいりました。
確か七十代でいらしたかと存じますが、淡々とお話になる少ししわがれたお声の魅力的なこと・・・。
Q:「久富さんは地唄が大変お好きだというように伺っていますが、それはどんなところにでございましょうか?」
「はい、三味線の中では、何といいいましても地唄が一番むつかしんでございます。
むつかしいだけに品がよくて、とても気持ちがよいものですから好んでまいりました。」
Q:「では、久富さんの目指していらっしゃる三味線と唄とは?」
「地唄らしい素朴な雰囲気をこわさん様にと心がけております。」
「昔から、地唄の三味線は、風の吹いて風で鳴らしたと聞いとります。
なるほどそうやと思いまして、出来るだけ楽に弾いて、楽に聴いてられる三味線をと思うとります。」
そうして演奏して下さいましたのが、地唄『ままの川』。
夢が浮世か 浮世が夢か 夢てふ里に住みながら 人目を恋と思ひ川
うそも情もただ口先で 一夜流れの妹瀬の川を・・・
お嬢様がお箏を合せられ、それはそれは結構なお唄と演奏でございました。
その当時の神楽坂と申しますと、一筋入れば、どこからともなくお三味線の音が聞こえ、夕暮れどきともなりますと、あの狭い坂道に黒塗りの立派な車がずらりと並んだその脇を、左褄を取ったお姉さま方が登っていく後姿に、娘心にもうっとりとため息をついてお見送りしたものでございます。
今は昔、私が18歳の頃のことでございます。
お稽古をちょっと中休みして、お調子を合わせたままにしてあるお箏に、開け放った窓から入ってくる五月の風がそよそよあたりますと、リリィィ~ンという涼やかな音を立てて、絃がひとりでに鳴り始めることがございます。
あっ、お箏が風に鳴って・・・なんてきれいな音!!
お三絃をお膝にかかえようと、そうっと持ち上げるかすかな空気の流れに、三絃が嬉しそうにビィィ~ンと響いて鳴ってくれることもございます。
そんな優しい響きを聴くたび、あの日ラジオから流れてきた『ままの川』を今でも懐かしく思い出します。
久富一郎さんも初耳ですが、「風の吹いて風で鳴らした」「出来るだけ楽に弾いて、楽に聴いてられる三味線を」...素敵な言葉ですね~。どのようなお唄と演奏をなさるのか、とても気になってしまいました。
お部屋に通され、ちょこんと座った私達はなんとも覚束ない様子で、慣れない雰囲気にのまれつつ、そんなくすぐったい気分を愉しみながら、いつにない微笑みで会話をしています。お酒を味わい、生意気にもお料理も美味しいねと喜んでいたその時・・・
上の階で男の人たちの笑い声が聞こえてきました。そしていつも聴いている音色が・・・
あっ!芸者衆が歌や踊りを披露しているらしい・・・一同耳を澄ませ、その歌声、音色に聞入りました。便乗するとはこのことを言うのか、得したねと皆喜びます。上のお部屋は窓を開けていたのか本当によく音色が響いてきます。こちらも窓を少し開け、もう一度耳を澄ませます。「風の吹いて風で鳴らした」というべきか、冬の澄んだ空気に溶けて流れるように鳴る音色、さりげなくライトアップされた小粋なお庭を眺めながら、なんと至福の時を過ごしているのだろうと、頬赤らめた私が心のシャッターを押した瞬間でした。
又神楽坂に行きたいです。