岩木山

2010-11-19 07:59:19 | 
「魔の日本古代遺跡/武光誠・著」より抜粋

神道については様々な捉え方がされている。今日の神社を信仰する人々を見れば、春や秋の祭りは氏子と呼ばれる地域単位で行われたり、神棚は家ごとに祀られる。

神道に拠る人々は神の存在を信じているが、神に頼ろうとはしない。「清く明るく正しく素直な赤き(熱血とか熱き)心」で生きる。

「正直の頭に神宿る」という諺は神道の立場から作られた。
神の恵みは一人々の行いに基づいて与えられる。

ところが魔の信仰はこれとは異なる。
正しい人でもそうでない人でも、定められた呪術を行えば、一定の効果がある。
それ故、神道の立場からは悪人が魔を使った場合、その魔が「鬼」になる。

ただ神道と魔の信仰が対立する訳ではない。
神道は間違いなく魔の信仰の系譜をひいている。

例えば岩木山(青森県にある山)の魔の信仰は、津軽(つがる)の領主・津軽氏の手によって神道に近いものに変えられて行ったと評価出来る。

このことは、岩木山がかつては鬼の住処だったとする伝説と深い関わりを持つ。

遥か昔、岩木山は「阿蘇辺(あそべ)の森」と呼ばれていた。
そこには魍魎精鬼(もうりょうせいき)が住み、麓の人々を悩ませていた。
その為、天皇が近江国の花輪という武士に鬼退治を命じた。

彼は「錫杖(しゃくじょう)の印と曼字(まんじ)の旗の紋を用いて攻めよ」という神託に従って鬼をくだした。

その時、鬼が山の神に仕え参拝者を守るので許して欲しいと願った。
その為、花輪は鬼を赤倉(岩木山神社が岩木山の表門にあたるのに対して、赤倉は裏門にあたり、古くから魔の集まる場所と考えられてきた。

弘前〈ひろさき〉藩関係者の文書には、岩木山中で光物を見たとか、また正体不明の発光体が赤倉の辺りに現れたとする記述がある)に住まわせ、そこから岩木山への登り道を作ったという。

この岩木山の縁起は、山の神と鬼とを別のものとしている点で新しい。

かつては山に住む魔が、ある時は災いを起こし、ある時は人々の生業を助けるとされた筈だ。
山の魔の多くは神になり、人々の味方につき、魔の社会のはみ出し者が鬼とされた。

しかし鬼は決して悪いものではない。
今でも赤倉の辺りに鬼の存在を信じる人がいる。
峰を登ったり、雨の夜に小径をうろつく怪しい者を見たという人々がいる。
その背丈は人間より多少高く、痩せて黒ずんでいる。

その姿を見て恐怖のあまり寝込んだ者もいるし、鬼と仲良くなって酒肴を与えその返礼に薪を大量にもらった者もいるという。