5月23日の写真ですが
五所川原(ごしょがわら)市・大山祇(おおやまつみ)神社へ参拝に行きました。
この大山祇神社が東日流外三郡誌に載っている石塔山にある神社のことでしょうか?
神社庁誌よると、祭神は大山祇命。
大山祇命と言えば、長髄彦の祖「大山祇彦命」又は「山祇之命」。
「山祇之命」と言えばその祖は「山大日之国命」とその妹とする「山大日見子(やまだいひみこ)」の系図が『東日流(つがる)外三郡誌』に記されています。
つまりこの神社は、アラハバキ神と長髄彦縁の神社ということになるのでしょうか。
上の写真は大山祇神社鳥居の前にリンゴの花が映っています。
この神社周辺はリンゴ畑に囲まれていて岩木山が鳥居前からも見ることが出来ました。
少し霞んでましたが、大山祇神社近くの五所川原金木36号線から岩木山を写真に収めることが出来ました。
階段を上がると鳥居があり、
拝殿があり、
参拝が終わって階段を下りて元の鳥居左手奥には、杉木立に囲まれた3つの末社がありました。
池には龍神様が住んでいそうです
鳥居の左前には2つの石碑が。
左の石碑は庚申荅で、右の石碑は「二十三夜塚」と掘られていました。
この大山祇神社と神社東側にある中山連峰に役小角と御母の石碑があるらしいですが、神社付近では見つけることは出来ませんでした。
ということはこの神社は東日流外三郡誌に載っている石塔山大山祇神社ではないのかも知れません。
「知られざる東日流日下王国/和田喜八郎・著」には、
『前九年の役で安倍一族が厨川の戦いに敗れるが、祖来の地、津軽に落ちのびた高星丸(たかあきまる)は祖父・頼良の遺骸を浄法寺より移し、石塔山に埋葬した。
石塔山はこうして安東氏、秋田氏の時代になっても、一族の秘墓として堅く護持された。
そして石塔山には、あえて参道を造らず、みだりに人を入れることを禁じ、安東一族の墓地として清浄な自然の景観の中に保たれてきた。
この聖地には、浄土宗の金光坊や、真言宗の弘知法印、天台宗の慈覚坊らも参詣した。
それだけに霊力が存在し、神通力が通う聖地なのである。
十和田神社、修験堂跡もあり、鳥居は三門に造られていたが今は遺っていない。
大和の三輪山と同じく、山そのものが御神体であり、みだりに入峯して聖地を汚してはならないのである。どうか皆さんもご協力頂きたい』
と記されてあり、
安倍・安東一族の墓碑や供養塔の白黒の写真が載っていますが、私が訪ねた大山祇神社には写真のようなものはありませんでした。
三郡誌に載っている石塔山大山祇神社はきっとその神社近くにあると思うのですけどね(^。^;)
空気に耳を傾けてごらん。
あなたはそれを聞き、感じ、嗅ぎ、味わうことが出来るだろう。
ウォニャ・ワカン…
聖なる空気…その呼吸はあらゆるものを再生させる。
ウォニャ、ウォニャ・ワカン…
霊、生命、息、再生…それら全てを現す言葉。
ウォニャ…わしらは共に座り、たがいに触れていないのに、何かがそこにある。
わしらは、たがいの間にある、その何かを感じる。
何かの臨在を感じるのだ。
自然のことを考え始める良いやり方は、自然について話をしてみることだ。
というよりも、まるで自分の親戚のように自然に語りかけ、川に語りかけ、湖に語りかけ、風に語りかけてみることだ。
ジョン・レイム・ディアー
(ミニコンジュー・スー族)1972年
『インディアンが語るナチュラル・ウィズダム…それでもあなたの道を行け』
ジョセフ・ブルチャック編 中沢新一+石川雄午★訳
10月16日
デジカメのバッテリーがなくなったので携帯から奥入瀬渓流の景色を撮りました
倒れた木にコケの緑が美しかった
一部赤く紅葉していて絵になりました
遊歩道を歩いていると、まるで抹茶のロールケーキにトッピングしたみたいな苔むした倒れた巨木に出会いました(*^^*)
苔むした木橋がとても優しげで歩いているだけで森の妖精がお出迎えしてくれているように感じました
最後に森の中の素敵なベンチに出会えて最高の気持ちになりました
次回は奥入瀬渓流最終地点の「子ノ口」まで歩きたいと思っています
終わり
10月11日
北八甲田ロープウェイから大岳登山コースを降りて、酸ヶ湯付近まで登山してきたところ、見事な紅葉の景色にうっとりしました(*^^*)
デジカメのバッテリーがなくなりこの写真は携帯からですが、紅葉した美しいブナの原生林をアップします
昨日は、夜中に雨が降ったせいか、特に酸ヶ湯付近の登山道は泥でぬかっていて、登山靴も泥だらけになりましたが、この大好きなブナの森の紅葉を見れたら、汚れたのもなんのそのでした(^O^)
このようにして最終地点の酸ヶ湯温泉まで下山したのでした
一つ注意したいのは、雨が上がった後の登山道は泥でぐちゃぐちゃなのと、木道も濡れてて滑りやすいのでお気をつけ下さいませ。
かく言う私も木道で2回転んでしまいましたので(^_^;)
終わり
10月11日 青森県北八甲田山へ登山してきました。
上の写真は、地方道40号線と国道394号線の交差点から見た奥が高田大岳、手前が雛岳です。
田茂萢岳。
赤倉岳に向かって木道を歩いて行くと
尾根を歩くと、霧のような雲のような強い風が吹き、飛ばされそうな恐怖を感じながら
井戸岳へ進みます。赤倉岳、井戸岳の辺りは強風の為、視界も悪く、凄く寒くて今の時期でも防寒具は必要です。下界は暖かく晴れていたのに
井戸岳付近にある噴火口。
井戸岳付近から見えた、たぶん雛岳と高田大岳。
上毛無岱の木道
上毛無岱から見た北八甲田
上毛無岱から下毛無岱を眺める。
私はこの上毛無岱と下毛無岱が八甲田の中では一番好きです
下毛無岱に降りる為の階段からの眺め。
階段は何段あるんだっけ?
この秋の紅葉時、上毛無岱から下毛無岱を眺める階段上からの眺めが最高です
下毛無岱に降りて、木道からの眺め。
酸ヶ湯温泉ゴール近くの森の中の遊歩道を歩く。
紅葉は山頂に行くほど、進んでないように思いました。酸ヶ湯温泉付近のブナの森はとても綺麗な紅葉でした
「猿田彦と椿/古賀登・箸」の本から
――以下部分抜粋――
古来、日本人はツバキの花に特殊な感情を抱き、ツバキにまつわる様々な民俗を生んできた。
ツバキは日本の関東以西、韓国最南端、中国南部からヒマラヤの温暖帯地方のネパールにかけての所謂照葉樹林帯を代表する樹である。
日本のツバキ、中国雲南省西南部のトウツバキ、雲南省・四川省南部のサルウィンツバキ、中国中南部のピタールツバキ、浙江(せっこう)紅花油茶などの品種が知られている。常緑広葉樹であるから、照葉樹林帯以北には育ちにくい。
またヤブツバキは、ユキツバキの海岸型として分化したもので、ユキツバキはトウツバキが中心である中国南部から、地球上の気候の変化に伴ってツバキの祖型が日本に分布してきたものと推定されている。
ユキツバキは、日本海沿いの福井県西部から秋田県田沢湖にいたる山地に分布し、また岩手県東南県境の猿岩でも発見されている。
そのユキツバキの海岸型がヤブツバキであれば、かなりの高緯度にヤブツバキが自生しているとしても、椿山のある青森県東津軽郡平内(ひらない)町は、11月中旬から翌年の3月末頃まで降雪があり、降雪量も多く厳しい自然環境である為、椿山の椿を「誰かが植えた」と考えるのは自然である。
その椿山にある椿神社の祭神は、猿田彦である。
猿田彦を祀ったのは1573~1592年、或いは1594年に田沢村(平内町田沢)の横峰嘉兵衛の女房に神が乗り移り、託宣によって当地の守護神として椿崎大明神を祀ったのが創祀で、始めは鳥居だけであったが、1698年にお上の仰せによって社殿を造立し、『津軽俗説選』を書いた弘前の人・工藤白竜は、1789~1800年に伊勢国河曲(かわわ)郡の椿社(今の鈴鹿市椿一宮の都波岐神社)から勧請したと記している。
だが何故、猿田彦なのか。
江戸後期の旅行家、菅江真澄が伝えた椿山伝説によると、ここは都からの船が寄港する所とあるから、航海の神として祀られたのかも知れない。
椿一宮の猿田彦は、神功皇后の新羅遠征に従軍して軍功を挙げ祀られたというから、海士達の神である。
また、ここから夏泊半島を西に進み、油目崎を過ぎると小リアス式海岸が続き、稲生・浦田・茂浦では、かつて塩を焼いており、鎮守の塩釜神社では塩土老翁を祀っている。
塩土老翁は、猿田彦と同神であり、猿田彦は製塩業者が信仰していたものかも知れない。
椿神社の猿田彦について見落とせないのは鉱山との関係である。田沢の椿山には椿山鉱山があり、銅・鉛・亜鉛が採鉱されていた。
青森県は秋田県と並んで鉱山が多く、砂鉄生産量は東北地方の約60%を占めている。
津軽は縄文時代、三内丸山遺跡に見られるように先進地帯であったが、弥生・古墳時代以降は蝦夷の地として後進地帯と見做されるようになってしまった。
しかし鉱物資源の開発は、意外に早かったのではあるまいか。
それを開発したのは猿田彦を奉斎する技術者集団であり、それを証明しているのが田沢(平内町夏泊半島)の椿山にある椿神社である。
温泉には入らないけど、後生掛温泉の周りにある後生掛自然研究路を散歩してきました
温泉の横には「オナメ・モトメ」と書かれた看板があり、それを過ぎて歩いて行くと
私の好きな白樺の木々がお出迎えしてくれました
「紺屋地獄」と言われる大噴煙が湧き上がるこの場所は、硫黄の香りが立ち込め、まるで温泉に入っているような気分になりました
そしてしゃくなげ茶屋があり、
茶屋のお店には山菜など他にも真っ黒い茹で卵が一個65円で売ってました
更に歩いて行くと日本一の泥火山、数年ごとに噴火するミニチュア火山が沢山ありました。
大湯沼の周りは一部紅葉していて綺麗でした
この泥湯が沸騰し噴煙が凄い勢いで立ち上る様は、自然が作る驚異…正に原始の息吹を感じました。
最後に気になったのが、この十字架。
何故、こんな所に十字架が立っているのか謎です。
しおりを見ると、ここは十字架岩と書かれてあり、ハイキングコースの最後の辺りに高い岩があり、十字架が立っていたのです。
不思議ですね
終わり。