レイライン靄山へ登る

2010-08-31 20:18:27 | レイライン・パワースポット・龍神・古代
7月19日の写真ですが、津軽半島、十三湖の北に位置する、
五所川原市(ごしょがわらし)市浦(しうら)にあるレイライン靄山(もややま・152m)に登ってみました


レイラインとは私が勝手に述べさせて頂いてますが、写真青森県地図の1が靄山です。

頂上には片道20分ほどで着き、お天気が良ければ岩木山が綺麗に見えるそうですが、この日は残念ながらうっすらとしか見えませんでした。

一番上の写真は国道339号から北に向かって見た靄山です。
やはり綺麗なピラミッド型をしています。


靄山の西側にある日本海の海岸から見た靄山ですが、半円形の形に見えます。



頂上には「岩木山神社」があります。

「もや」とは里山の独立した山を指す言葉で青森市にある雲谷山も語源は同じとのことです。

『津軽古代王国の謎/佐藤有文・著』の本には、

「靄山を日本海側から見れば半円形となり、別な角度から見れば三角型ピラミッドの姿をしているが、このような形態は前方後円墳の地形とよく似ており、大和地方の御神体山・三輪山とそっくりである」

と述べています。
私も三輪山を一度見てみたいです。
京都芸術短大の渡辺豊和教授は同じく著書の中で、

「大和三山の耳成山と天香具山は、縄文人達が太陽の観測をするのに利用した人造ピラミッドだろう」と述べ、

更に佐藤有文氏は、

「これらの大和三山や三輪山は、かつて大和の大王・長髄彦が住んでいた故郷であり、鳥見山(登美山ともいう)から三輪山を参拝。
合わせて大和三山を神聖なる太陽の通る霊山として崇拝していたに違いない。
したがって神武天皇軍に敗北した大王・長髄彦が津軽の十三湖に逃亡したとすれば、長髄彦はそれらの山を忍んで、ピラミッド型の靄山を人工的に築いたとも推定出来る。
しかも大和三山の天香具山と十三湖の靄山は、奇しくも同じ標高152m。
これは単なる偶然に過ぎないのだろうか」

と述べています。

続く

秋田県森吉山

2010-08-30 17:18:26 | 
8月29日
秋田県森吉山にトレッキングしてきました。
初夏の頃に登山した時はかなりの登山客で賑わっていたのに、昨日の登山客はまばらでした。
今年は残暑厳しいので、やはり涼しい山へと登山客が流れているのでしょうか。

昨日の街の気温は30度を軽く超えてましたが、山は日差しはまだ暑い感じでしたが、爽やかな風が時おり吹いて、涼しく感じましたよ


上記写真はブナ帯コースから山頂に上がる為、ゴンドラに乗ること約18分。



ゴンドラを降りて、ブナ林やオオシラビソ(アオモリトドマツ)の樹林帯を抜けると、



奥には森吉山(1454m)山頂が見えてきます

途中、ミニ湿地帯があり、トンボが池の回りを飛んでいました。

今年は暑いせいか、街中でも一度見ましたが、山では鬼ヤンマが沢山飛んでいました。
トンボよりも大きい羽で悠々と私達の頭の上を飛んでいる様子を見ると、迫力を感じます。



更に進むと、途中に
「熊に注意」
「魔除け。幸福の鐘」
という看板がありました。
熊には出会わなかったけど、鐘は一回だけ鳴らしてみたら、凄い響きでした(*^^*)



1時間と少し歩いて頂上につきました。大小の岩石がゴロゴロあり、お昼のおにぎりを食べるのには、ちょうど良い椅子がわりになりました。


頂上からは、私達が通り越してきた阿仁避難小屋が見えます。

頂上で登山客から熊に遭遇した話や凄く効く虫除けスプレーの話などを聞き、私達の他にも登山客がいらしゃってて良かったなぁ
と思いながら、頂上を後にしました。



もと来た登山道を戻ると、森吉避難小屋とその後ろにある神社の屋根と冠岩が遠くに見えます。



雪の重みのせいか、少し曲がった鳥居と神社の前に到着。


神社の後ろにある奇妙な形で積み重なっているこの巨岩が冠岩と言い、神社のご神体とのこと。

巨石には坂上田村麻呂に追われた蝦夷の首長の大滝丸が積み上げたとする伝説が残されていて、説によると「大滝丸」は「東北の覇者アテルイ」と同人とか。

由緒書きには、
「森吉山の岩山に住み、参拝人に鬼神として恐れられていた大滝丸を、坂上田村麻呂が退治した。それを顕彰するために大同2年807年に神社を創立した」
と書かれています。
う~ん、またしても坂上田村麻呂の登場ですか(^_^;)



参拝を済ませ、下山する途中にうっすらと綺麗な薄紫色の雲が横に一直線に見えました(写真では分かりづらいですが)

すれ違う登山客に話をしたらそれは「彩雲」とのこと。
またまた良いことを聞きました
感謝です

景色は美しかったし、山の霊気に包まれて充実した登山日和でした(*^^*)

終わり

追記です


頂上近くになると登山道の両脇で、リンドウの群生がお出迎えしてくれました。

夏の花
「エゾオヤマリンドウ」だそうです。

北東北レイライン2

2010-08-30 12:10:00 | レイライン・パワースポット・龍神・古代
五芒星レイラインの他に十字架のレイラインも考えてみました。

赤い○が青森市にある「雲谷山」。

緑の矢印2つが秋田県にある茂谷山。

赤い×印が大湯ストーンサークル。

青色の矢印が岩手県一戸町にある茂谷山。

因みにピンクの矢印は秋田県八峰町にある母谷山(275m)。

やはり「もや山」がポイントです


この地図に記した「十」の徴を見ると、正確ではないかも知れないけど、東西南北を表しているのかな…

でもそれだけではないような気がします。
雲谷山から南に向かって描くラインは茨城県にある鹿島神宮に辿り着きます。
これはただの偶然でしょうか

続く

北東北の五芒星

2010-08-29 08:48:26 | レイライン・パワースポット・龍神・古代
続き

上記写真は「レイラインハンター 日本の地霊を探訪する/内田一成・著」著書
から抜粋した青森県十和田湖付近の地図ですが、三角型のレイラインを写真図のように表しています。

三角のレイラインを結ぶ地名はそれぞれ

1 三内丸山遺跡(青森市)
2 大石神ピラミッド(新郷村)
3 大湯ストーンサークル(秋田県鹿角市)
4 十和田湖
です。

2の大石神ピラミッドのすぐ近くには「キリストの墓」もあります。

この著者の言う三角型のレイラインの真ん中に十和田湖が位置し、東北の覇者アテルイの聖地十和田湖を封じ込める為に桓武天皇及び坂上田村麻呂が仕掛けたと著者は述べています。


が、私の考えたレイラインは、この青森県地図に記した五芒星になるのでは…?
と考えました。でも正五角形ではないですが(^_^;)

1 靄(もや)山(五所川原市)
2 諏訪神社(六ヶ所村)
3 雲谷(もや)山(青森市)
4 十和田湖
5 母谷山(秋田県八峰町)
6 靄山(岩手県軽米町)
7 大日霊貴神社(秋田県鹿角市)

4の十和田湖を真ん中に挟み、6つの地を結んでみました。

ポイントは「もや山」です。

北東北には「もや山」がいくつか存在します。
写真で挙げた他にも、5から6のライン上に「もや山」は3つあります。
一体、もや山は何を指し示しているのでしょうか?
謎です。

続く

十和田湖と坂上田村麻呂

2010-08-26 07:36:37 | レイライン・パワースポット・龍神・古代

(上記写真は十和田神社)

「レイラインハンター 日本の地霊を探訪する/内田一成・著」から

――以下抜粋――

◆坂上田村麻呂の戦術

8世紀全般に渡り、西から勢力を伸張してきた大和朝廷が東国支配を目論み、蝦夷の天地にしばしば侵攻する。

ところが、蝦夷の抵抗は激しく、送り込まれた朝廷の軍勢はことごとく敗走することになる。
三内丸山から延々と続いてきた蝦夷の平和がそのまま続くかに見えた。

ところが9世紀に入り、朝廷は最後の切り札として、武運の誉れ高い坂上田村麻呂を征夷大将軍に起用する。
すると長年抵抗を続けてきた蝦夷は、田村麻呂の前に呆気なく平定されてしまう。

田村麻呂を起用したのは桓武天皇だった。
桓武天皇は平安京遷都にあたって風水や陰陽道を駆使し、自らが死に追いやった実弟の早良親王の怨霊を封じたことでも知られるが、唐様の習俗や文化を積極的に取り入れて呪術政治を行った。

その桓武天皇の腹心であった田村麻呂は、当然陰陽道にも精通していた。

ただし武人である彼は桓武天皇のように徹底した陰陽師であった訳ではなく、実際的な力である武力と霊的或いは心理的な力と言える陰陽道とを上手く使い分ける巧みな戦略家だった。

三内丸山の縄文精神を受け継ぐ蝦夷達は、人間と土地の結びつきを重要視していた。
限りない恵みを与えてくれる大地に感謝し、その大地と対話出来る場所を聖地として祀っていた。

その蝦夷の聖地に楔を打ち込んで、これを機能させなくすることでまず精神的なダメージを与え、それで骨抜きになった蝦夷に対して武力攻撃で止めを刺すのが、田村麻呂の戦略だった。

三内丸山遺跡(青森市)を起点に大規模な大湯ストーンサークル(秋田県鹿角市)と、

上大石神ピラミッド(新郷村)を結ぶと見事な三角形が出来上がり、

その三角形の中には十和田湖がすっぽりと収まっているのだ。

強大な水神が眠る湖として太古から信仰の対象とされてきた十和田湖は、巨石遺構を結ぶレイラインに囲まれると同時に、岸辺にも巨石遺構が残っている。

風水や陰陽道では、幾筋もの龍脈(大地の気が流れるルート)を流れてきた気が龍穴というポイントで集中すると言われる。
龍穴は池や湖であることが多いが、それは水が気を溜めて更に増幅するコンデンサの役割を果たすとされるからだ。

そして龍穴に漲った気は、龍=水神に象徴される。太古の巨石信仰を受け継ぐ蝦夷にとって十和田湖は、当然この上ない聖地であった。


この十和田湖の中に突き出た中山半島の根元に十和田神社がある。
(十和利山頂上から見た十和田湖。去年の6月の写真です)


この神社は坂上田村麻呂によって創建された。
ここは蝦夷にとっては、強大な気が集中する巨大龍穴であり、最重要とも言える聖地だった。

田村麻呂が朝廷から東征の任を受ける前、この地を本拠とする蝦夷は、アテルイというアラハバキ神を奉じるシャーマニスティックな指導者に率いられ、強大な勢力を誇っていた。

田村麻呂は、ピンポイントで十和田湖を攻略し、ここに神社を創建するという正に蝦夷の聖域中の聖域に楔を打ち込んだ訳だ。

それまで威勢を駆って都にまで攻め入ろうという程だったアテルイ軍は、坂上田村麻呂が率いる軍勢に対して、突然劣勢となり、各地で敗退し、ついには総崩れとなってしまい、アテルイは田村麻呂に捕らえられ、打ち首となる。

そんな田村麻呂のアテルイ軍の士気を阻喪させる心霊戦、心理戦に蝦夷は屈したと言えるのではないだろうか。


蝦夷は太古から縄文そして中世へと脈々と受け継がれてきた巨石信仰=アラハバキ信仰に由来し、それと結びつくアラハバキは天空神であり漂泊神とされる。

天の力と大地の力の両方に通じた神であり、巨石信仰の場所に降臨し、レイラインを伝わって移動して行く。

そしてアテルイにアラハバキが憑依して絶大な指導力と運を手にしたように、ある瞬間にその場にいる人間にとてつもない力をもたらす。

確かに坂上田村麻呂によって一つの重要なレイラインは封じられたが、北東北の巨石信仰レイラインのチャンネルはそれだけではなかった。



十和田湖子ノ口


レイラインとは

2010-08-24 15:54:33 | レイライン・パワースポット・龍神・古代
いつも通っている道の中に、その道を車で走っているだけで、なぜか気持ちがワクワクしたり、嬉しい気持ちになったり、元気が出たりする道ってないでしょうか

私はあります。
方角的に北西~東南に位置する道路ですが時々通るこの道は、私にとってのレイラインかなぁ…と。

では一般的に言われるレイラインって何だろう…?
と思い、調べてみました。

『レイラインハンター』の著者・内田一成氏は、

「旅をしていて初めて訪れた土地なのに、そこにいるだけでとても懐かしい感じがしたり、体の中に力が漲ってくるような場所があったり、

逆にそれまで元気だったのに、その場所に立った途端に体の中の力が吸い取られてしまうことがある。

そう言った正と負の感覚は、それぞれの場所に固有なもので、何度訪れても印象は殆ど変わらない。

紀元前1世紀、古代ローマ帝国が全盛を極め、ヨーロッパ全域から北アフリカにまでその範図を広げた時、辺境に派遣された兵士達は、進駐した土地に固有の雰囲気が漂っているのを感じとり、それを【ゲニウス・ロキ=地霊】と名付けたという。

ローマの兵士達がゲニウス・ロキ(地霊)を強く感じ取った場所は北ヨーロッパではケルトの聖地に符合し、北アフリカでも土着信仰の聖地に符合していた。

つまり太古から、人々は土地に秘められた地霊を感じ取り、他の土地とは区別していたことを物語っている。

一体、地霊とは何なのか。

山に登っていると、古い祠が祀られているのをよく見かける。

人々を拒むように聳える山岳は、世界のどこでも神々が住む場所とされた。

そこで神々の領域である山岳に踏み込み、そこで修行する修験道が発達した。


ゲニウス・ロキ=地霊を感じる場所は聖地とされていることが多い。

人に畏怖を抱かせるような場所だから、そこが特別な場所として聖別されるのは当然とも言えるが、

様々な聖地を訪ねてみると、単にそこが周囲とは異なる雰囲気の場所であるというだけではなく、他の聖地と共通する雰囲気を持っていることに気づく。

そして同じ雰囲気=ゲニウス・ロキを持つ聖地を地図上で結んでみると、直線上に並んでいたり、幾何学的な形に配置されているケースが多い。

そのように同じ雰囲気=ゲニウス・ロキを秘めた聖地同士を結ぶことで表れてくるラインを【レイライン】と呼ぶ。

日本でも古来から聖地を結ぶ直線(ライン)が存在することが知られている。
それは神社や仏閣、山々などを結ぶライン…修験道や密教の世界で“御来光の道”と呼ばれてきた。

太陽の運行と結びついた巨大建造物や聖地、そしてレイラインのような配置は一般的に“農事暦”と説明されることが多いが、自分でレイラインを巡り、劇的な演出が姿を表すその瞬間にその場に居合わせると、

レイラインは光と密接な関係のある大地に眠る地霊を顕在化させる装置なのではないかという気がしてくる。

東洋医学では、人間の体には見えない“経路”という循環ネットワークがあり、それに沿って気=生気が流れると考える。
気の流れがスムーズなら身も心も健康だが、それが滞ると病気になる。

複雑に絡み合う経路の交差する場所で気が滞り易くなるが、そのツボを指圧や鍼で刺激することによって気の滞りを解消して健康を取り戻す。

そんな考え方を地球に当てはめてみれば、レイラインは人体にとっての経路に当たるものであり、地霊が宿る聖地はツボということが出来る。
そしてツボに打たれる鍼は聖地に置かれる様々なランドマークと言える」

と、著書の中で述べています。

真昼岳

2010-08-23 17:42:00 | 
8月21日
秋田県美郷町と岩手県西和賀町の県境にある真昼岳(1059m)を目指してトレッキングしようとしました。この山は古くから信仰の対象とされたお山だそうです。
上記写真、ストックで指しているのが真昼岳です。
真昼岳の左側に見える小さな三角形の山は女神山(955m)。
真昼岳の右側に連なる山は音動岳(1006m)です。


ずーっと尾根が続く真昼岳まで行くには、手前の丘と北ノ又岳(996m)を超えてからになります。


北ノ又岳の手前の丘を登る夫。


丘の頂上に辿り着き、



その次の岳(が北ノ又岳になるのかな?)に向かいます。



進むに連れて、草木の背丈がどんどん高くなり、朝早くトレッキングして帰って来られた登山客から情報を頂いたとおり、草木が人の背丈を超える程になっていて登山道は凄く歩き辛いとのこと、私達はここで断念しました。


北ノ又岳の対にある鹿子ノ山(937m)。



鹿子ノ山から女神山方面を眺む。



秋田県と岩手県の境にあるこの奥羽山脈の尾根づたいを是非とも、昔の人々の往古偲ぶ道を想像しながら歩いてみたかった…

もしかしたら、奥州の覇者と云われた安倍一族もこの道を利用していたかも知れないと思うとロマンを感じます


来年は草木が伸びない6月頃にまた来ようと思う

因みに、
道中、岩手県側から車で登山口まで行くのは普通車では行かない方が良いです。かなり道が悪く、ちょっと怖い思いをしたので。

秋田県峰越林道から車で上がって行った方が良いと思います。

終わり

奥入瀬渓流 2

2010-08-07 18:32:28 | 好きな場所・風景
「阿修羅の流れ」付近の遊歩道を歩く。
「阿修羅の流れ」を通り過ぎて更に歩いて行くと、その先には、ダイナミックな流れの速い滝が!
ここは龍神様がおられるかも(≧∇≦)
ここは、かなり沢山のマイナスイオンが空を飛んでいるのが肌で感じられました



また石ヶ戸付近に戻ってデジカメでパチリ




8月7日の奥入瀬渓流は土曜日ということもあってかなり混んでましたが、沢山の観光客の皆様が全国から、こうしていらして下さることは、地元民の私としても、とても嬉しいことです(*^^*)
偉そう語ってすみません。

今日は、遠いところからお越し下さり、長旅お疲れさまでした

奥入瀬渓流

2010-08-07 17:52:36 | 好きな場所・風景
8月7日
十和田湖奥入瀬渓流の写真をアップします。

石ヶ戸付近には綺麗な公衆や売店があります。

桂の木の大木に岩盤がもたれかかって石小屋となっているそうで、昔、ここは鬼神のお松という女賊が住んでいて、旅人を脅かしたと言い伝えられているそうです。

渓流沿いにはブナやダケカンバ、桂の木の群れがあり、木々の下の散歩道を歩くとマイナスイオンのおかげで、街は35度前後あっても、奥入瀬渓流の遊歩道は少しは涼しく感じました

石ヶ戸付近から十和田湖子ノ口に向かって遊歩道を歩くと


油絵を描いてる方に出会いました。
「奥入瀬渓流ノースビレッジの二階に絵を展示してるのでどうぞ
と、しっかりコマーシャルされました(^w^)
最後まで絵が仕上がる様子を見ていたい気持ちもありましたが、散歩道を進むことに。

続く