こんにちは! トロです。
おかげさまで投稿した詩が50編を超えました。
まだまだ道半ば、というか始めたばかりではありますが、ひとつの区切りがついた(と勝手に自分で決めた)ので、今日は私の詩作における考え方などを含め、書き散らしてみたいと思います。
私が詩を作るとき、いつも思い浮かべる、ある映画があります。
それはスタンリー・キューブリック監督の「スパルタカス」なんです。
それは古代ローマの剣闘士の映画で、戦争映画というか歴史映画ではないか、それが詩とどういう関係があるのか、とおっしゃる方もあるかもしれません。
確かにそうなんですけど、映画「スパルタカス」の中に、私が忘れられないあるセリフがあるのです。
共和制ローマの時代、奴隷の身分から反乱ののろしをあげたスパルタカスが、戦いに明け暮れる日々の中で、詩を作ることが得意な男に出会い、ふと、こんなセリフを言うのです。
「獣ですら戦いを知っている。だが、獣に美しい詩は作れぬ」
非常に印象深いセリフとして覚えていたのですが、以後、詩作をするたびに思い出しています。
人間の心を打つことができるのは人間だけだ、と言っているのですね。
現在、スパルタカスの時代から長い年月が過ぎ、人間の文明は大きく発達しました。
最近では詩を作る人工知能なんてものも出てきて、芸術やコミュニケーションの分野にまで、AIすなわち人工知能の能力が及んできたようにも思われます。
しかし私は、人間は量的な実力ではAIにかなわないが、だからこそ人間がなにかをする意味がある、と思っています。
人間は弱く、不完全である、だから人間の作り出すものは人間を感動させることができると。
皆さんはどのようにお考えになりますか。
以上、駄文にお付き合いくださり、ありがとうございました。
これからも当ブログをよろしくお願いいたします。
おかげさまで投稿した詩が50編を超えました。
まだまだ道半ば、というか始めたばかりではありますが、ひとつの区切りがついた(と勝手に自分で決めた)ので、今日は私の詩作における考え方などを含め、書き散らしてみたいと思います。
私が詩を作るとき、いつも思い浮かべる、ある映画があります。
それはスタンリー・キューブリック監督の「スパルタカス」なんです。
それは古代ローマの剣闘士の映画で、戦争映画というか歴史映画ではないか、それが詩とどういう関係があるのか、とおっしゃる方もあるかもしれません。
確かにそうなんですけど、映画「スパルタカス」の中に、私が忘れられないあるセリフがあるのです。
共和制ローマの時代、奴隷の身分から反乱ののろしをあげたスパルタカスが、戦いに明け暮れる日々の中で、詩を作ることが得意な男に出会い、ふと、こんなセリフを言うのです。
「獣ですら戦いを知っている。だが、獣に美しい詩は作れぬ」
非常に印象深いセリフとして覚えていたのですが、以後、詩作をするたびに思い出しています。
人間の心を打つことができるのは人間だけだ、と言っているのですね。
現在、スパルタカスの時代から長い年月が過ぎ、人間の文明は大きく発達しました。
最近では詩を作る人工知能なんてものも出てきて、芸術やコミュニケーションの分野にまで、AIすなわち人工知能の能力が及んできたようにも思われます。
しかし私は、人間は量的な実力ではAIにかなわないが、だからこそ人間がなにかをする意味がある、と思っています。
人間は弱く、不完全である、だから人間の作り出すものは人間を感動させることができると。
皆さんはどのようにお考えになりますか。
以上、駄文にお付き合いくださり、ありがとうございました。
これからも当ブログをよろしくお願いいたします。
またお気軽にお越しください。
よろしくお願いいたします。
私も 追々 拝読させていただこうと思っています。
どうぞ よろしくお願いします。
いえいえ、しっかりしているどころか、ただのモラトリアム中年ですが、そのように言って頂けると嬉しいです。
ありがとうございます。
なんか、すごーーーーーーーーー!!!
教えられた感じーーーーーーーーー!!!
すごーーーーーーーーーー!!!
脱帽ーーーーーーーーーーー!!!