今日はアメリカに来てはじめての大リーグ観戦のはずだったのにあいにくの雨でゲームが中止となってしまいイチローとの出会いは次の機会までおあずけとなってしまいました。せっかく立ち上げたばかりのblogにイチローの勇姿を貼り付けようと画策していたのになんとも残念です。まあ、お天気のことばかりは何を言ってもしょうがないですね、、。
ということで、予定を変更しこのblogのタイトル“MY LIFE AS A DOG”について若干解説することにします。(このタイトルで検索したらおなじ名前のサイトが結構あるようで少しおどろきました。)
僕が高校生のとき実家の近くの小さな映画館で短期間だけ上映されていたスウェーデン映画のタイトルがこの“MY LIFE AS A DOG”でした。
当時の僕はいわゆる“映画少年”で、田舎にくる映画(ほとんど洋画ばっかりでしたが)はほぼ全部見ていました。学校帰りに自転車で映画館に乗り付けてはガラガラの映画館の一番後ろのど真ん中の席に一人座って映画を見るのがお気に入りでした。
この映画に出てくる主人公の少年は母を病気で無くし、兄と別れてひとりで田舎の親戚に預けられます。少年はことあるごとに“宇宙に送られて死んでしまったライカ犬に比べたら自分の人生なんてましなほうさ”と自分を慰めるのです。
東西冷戦の時代、ソ連とアメリカは熾烈な宇宙ロケット競争をおこないます。ソ連はガガ-リンを宇宙へ送る前段階として一匹のライカ犬をロケットに乗せて打ち上げます。このライカ犬は宇宙での様々な身体の変化をつぶさに記録するため体を固定され、ありとあらゆる測定用の電極を体内に埋め込まれていました。ライカ犬のすぐ脇には限られた日数分の餌のみが備え付けられ、データ収集の役目を終えたライカ犬は宇宙でさみしく飢えに苦しみながら死んでいきました。
少年は、“このライカ犬に比べたら自分の人生なんてまだましだ”と、感情を相対化することで自分の寂しさを紛らわそうとしたのです。
人生のあらゆる場面においてこのような感情の相対化という行為は時として人間を絶望から救うことがあります。
ヴィクトール・フランクルの「夜と霧」という本のなかでも、絶望の淵にいるアウシュビッツのユダヤ人を精神的に救ったのはこの“相対化”という行為であったと述べられています。
ありとあらゆる物の価値は相対化の中でしか存在できないということに我々現代人はうすうす気づいています。
そういう意味ではこのライカ犬の人生(というか犬生)も誰かさんのそれと比べたらとてつもなく幸せだったのかも知れませんし、とすれば僕の人生など逆にこのライカ犬のそれとある意味ほとんど大差ないといえるのかもしれません。
このblogのタイトルにはこのような自嘲的な意味を込めてみました。
相対化の波の中で自分の立ち位置を何とか模索して行ければいいのですが、、。
ということで、予定を変更しこのblogのタイトル“MY LIFE AS A DOG”について若干解説することにします。(このタイトルで検索したらおなじ名前のサイトが結構あるようで少しおどろきました。)
僕が高校生のとき実家の近くの小さな映画館で短期間だけ上映されていたスウェーデン映画のタイトルがこの“MY LIFE AS A DOG”でした。
当時の僕はいわゆる“映画少年”で、田舎にくる映画(ほとんど洋画ばっかりでしたが)はほぼ全部見ていました。学校帰りに自転車で映画館に乗り付けてはガラガラの映画館の一番後ろのど真ん中の席に一人座って映画を見るのがお気に入りでした。
この映画に出てくる主人公の少年は母を病気で無くし、兄と別れてひとりで田舎の親戚に預けられます。少年はことあるごとに“宇宙に送られて死んでしまったライカ犬に比べたら自分の人生なんてましなほうさ”と自分を慰めるのです。
東西冷戦の時代、ソ連とアメリカは熾烈な宇宙ロケット競争をおこないます。ソ連はガガ-リンを宇宙へ送る前段階として一匹のライカ犬をロケットに乗せて打ち上げます。このライカ犬は宇宙での様々な身体の変化をつぶさに記録するため体を固定され、ありとあらゆる測定用の電極を体内に埋め込まれていました。ライカ犬のすぐ脇には限られた日数分の餌のみが備え付けられ、データ収集の役目を終えたライカ犬は宇宙でさみしく飢えに苦しみながら死んでいきました。
少年は、“このライカ犬に比べたら自分の人生なんてまだましだ”と、感情を相対化することで自分の寂しさを紛らわそうとしたのです。
人生のあらゆる場面においてこのような感情の相対化という行為は時として人間を絶望から救うことがあります。
ヴィクトール・フランクルの「夜と霧」という本のなかでも、絶望の淵にいるアウシュビッツのユダヤ人を精神的に救ったのはこの“相対化”という行為であったと述べられています。
ありとあらゆる物の価値は相対化の中でしか存在できないということに我々現代人はうすうす気づいています。
そういう意味ではこのライカ犬の人生(というか犬生)も誰かさんのそれと比べたらとてつもなく幸せだったのかも知れませんし、とすれば僕の人生など逆にこのライカ犬のそれとある意味ほとんど大差ないといえるのかもしれません。
このblogのタイトルにはこのような自嘲的な意味を込めてみました。
相対化の波の中で自分の立ち位置を何とか模索して行ければいいのですが、、。
(あれ?今も叩いてるんだっけか?)
僕も日本で一時YAMAHAのサイレントドラムっていうのを買って自宅のマンションで練習しようと思ったことがあるんですが、練習開始後5分で苦情が来てしまい、それ以降さみしく練習パッドとメトロノームのみの生活に戻ってしまった経験があります。
結局そのYAMAHAのドラムは後輩に売っちゃいました、、。
僕が一時期習ってた先生は日曜になると多摩川の河川敷にドラムセットを持ち込んでたたきまくってましたね。
プロでも特にドラムの場合は練習場所の確保が大変なんですよねー。
その先生がいつも「神保さん(神保彰のこと)はうらやましいよー、自宅にスタジオがあるんもんなー」と
ねたんでましたね。
「先生もがんばって早く売れてよ-\\\」
とよくからかったもんです。
>私の友人の子供は7歳にしてめっちゃ..
7歳でそんなに上手いんじゃ将来が楽しみですねー。
>鍵盤をなんとか手に入れたいと思ってるんですけどね~。
鍵盤だったらアコースティックじゃなければお部屋において弾けるからいいですよねーってそういう問題じゃない?
実は定住したい方なんですけど、一度もそれがかなったことが無いんですわ・・・。
音楽は、自分でやるのは主にボーカルです。
プロじゃないですよぉ。プロってそれで食べてる人でしょ?違いまーす。周りにプロは沢山いるけど。私は、プロになって、自分ががっつくんじゃないかと思ってなれないタイプ。
VCに行ったら、鍵盤をなんとか手に入れたいと思ってるんですけどね~。どうかな~。
ドラムは練習大変ですよね。私の友人の子供は7歳にしてめっちゃ上手いドラマーです。でも、やっぱり電子ドラムで練習してるの。
凄くアクティブ。うらやましいです。
ちなみに、音楽をやられているそうですが、
お歌のほうですか?
ひょっとしてプロ??
ちなみに今こっちでバンド仲間探してるんですよー。
楽器がドラムなんで練習場所もないんで、ナマの楽器触るためにときどき楽器屋にいって試奏させてもらったりしてます。かなりさみしいですけど、、。
イギリスは田舎が良いですよ!
僕は行ったことないけど、こっちにいるうちに一度は絶対行きたいですねー。
そうか!サイダーハウスルールも色がとっても綺麗な映画でしたよね。ショコラは実はまだ観てないんですよ・・・。ジョニー・デップもジュリエット・ビノシュも大好きなのに・・・。でも原作は読もうと思って、買いましたけど・・・。原作者も、イギリスに住んでいるフランス人でしょ?彼女が住んでいるところ、私が住んでいたところと近いのもあってつい・・・。
URL入れときました。My lifeで検索するとお隣に出てくるんですよ~
この映画で認められたハルストレム監督はその後ハリウッドで“サイダーハウスルール”とか“ショコラ”を撮ることになるんですよね。
どっちもいい映画でしたー。
ところでダイアンさんのblogも行ってみたいです。差し支えなければアドレスを教えてください。
ボクシングしているつよ~い女の子が又
印象的だったな~。一見男の子なんだけど、
やっぱり女の子なんだよな~みたいな。
あれ観たとき私いくつだったんだろう・・・?