ひさびさの更新です。
7月より長期出張のため茨城県の筑西市というところにきています。周囲は田んぼに囲まれています。ここにはゆったりとした時間が流れています。子供のころに馴染みの深かったムカデやらコガネムシやらといった、現代の都会の生活ではほとんど見かけなくなった昆虫たちが家の回りに(しばしば家のなかにも)出没し、思わず幼いころの祖母の家にタイムスリップしたような錯覚にとらわれます。
ということで、やや時間的、精神的に余裕ができたので、少し更新頻度をあげていければいいなと考えております。
さて、ここ数ヶ月間、試験勉強などいろいろあって、ほとんど映画を見ていませんでしたが、この週末は久々に映画漬け、というほどではないまでも映画館を何軒かハシゴし、以下の映画を見ました。
「精神」 監督相田和弘。
「レスラー」 監督ダーレン・アロノフスキー。
「その土曜日、7時58分」 監督シドニー・ルメット。
「ダウト あるカトリック学校で」 監督ジョン・パトリック・シャンリー。
このなかでも、ミッキー・ローク主演の「レスラー」は涙ちょちょ切れの一本でした。
おそらく、現在30歳代後半~40歳台以降の男性なら、少なからずこの映画から何かを感じとるはずです。
かつて、「ダイナー」「ランブル・フィッシュ」「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」「ナインハーフ」などの映画で絶頂を極め、しかしその後、整形手術の失敗やダイエットの失敗などから、かのマイケル・ジャクソンとタメを張るぐらいに不気味に容貌が変化し、最近ではゴシップ紙においてですらその名前を見なくなっていた、落ち目俳優の代表(?)ミッキー・ロークが、過去の栄光にすがって寂しく生きる斜陽のプロレスラーを見事に演じています。
これほどツボにはまったキャスティングが果たしてあるでしょうか。
今やかつての勢いはほとんどありませんが、私の幼少時にはまだプロレスは根強い人気を誇っていました。夕方、小学校から帰ってきてテレビをつけると、アブドラ・ザ・ブッチャーとかタイガー・ジェットシンとかスタン・ハンセンとかミル・マスカラスなどといったレスラーたちが、ブラウン管の中で縦横無尽に暴れまわっていました。なかでも私の印象に残っているのはアブドラ・ザ・ブッチャーです。彼の額には熊にでも襲われたかのような3本の傷跡(爪跡?)が生なましく残り、彼が登場すると会場は不気味な雰囲気に包まれました。ブッチャーは反則技を得意とし、フォークなどの(今から考えるとなぜフォークなのかよくわかりませんが)先の尖った武器を隠し持っていて、レフェリーの目を盗んでは対戦相手の額を突いて怪我をさせ、試合のたびに激しい流血沙汰となりました。幼かった私は、毎週手に汗を握りながら、悪の権化ブッチャーの狂気の振舞いを震える思いで眺めていました。
しかし、それらの“残虐行為”そのものが実は周到に計画された一種の“茶番”であったということが広く一般に知られるようになり、その頃から急速にプロレス人気は翳りを見せはじめます。プロレスは、出来レースであり、プロレス業界は総出で八百長をやっているのだといった極端な物言いをする人もいました。
そして、プロレス人気の凋落にとって変わるようにK-1のようなガチンコ系格闘技が登場し一世を風靡するようになっていきました。
映画「レスラー」においても、控え室で対戦選手同士が、試合前に段取りを周到に打ち合わせするシーンが出てきます。
ところが不思議なことに、それら周到な打ち合わせの末に繰り広げられる男同士の戦いには、いわゆる“茶番”という雰囲気が微塵も感じられません。いや、茶番どころか、彼らの試合は、まさにガチンコの真剣勝負そのものにしか見えません。
この辺の演出はとにかく涙ものです。
映画の中でミッキー・ロークが「80年代のロックは本物だ。90年台以降のロックは糞だ!」みたいなことをはき捨てるシーンがあります。
なんと格好のいい台詞でしょうか。ミッキー・ロークよ、よくぞ言った。まさにそのとおりだ。
プロレスとミッキー・ロークと80年代ロック。
この3つのタームにビビビっと反応するおじさんたちは決して少なくないはずです。
というわけで、尻切れトンボのようでなんですが、長くなったのでこの辺でおわりにします。
7月より長期出張のため茨城県の筑西市というところにきています。周囲は田んぼに囲まれています。ここにはゆったりとした時間が流れています。子供のころに馴染みの深かったムカデやらコガネムシやらといった、現代の都会の生活ではほとんど見かけなくなった昆虫たちが家の回りに(しばしば家のなかにも)出没し、思わず幼いころの祖母の家にタイムスリップしたような錯覚にとらわれます。
ということで、やや時間的、精神的に余裕ができたので、少し更新頻度をあげていければいいなと考えております。
さて、ここ数ヶ月間、試験勉強などいろいろあって、ほとんど映画を見ていませんでしたが、この週末は久々に映画漬け、というほどではないまでも映画館を何軒かハシゴし、以下の映画を見ました。
「精神」 監督相田和弘。
「レスラー」 監督ダーレン・アロノフスキー。
「その土曜日、7時58分」 監督シドニー・ルメット。
「ダウト あるカトリック学校で」 監督ジョン・パトリック・シャンリー。
このなかでも、ミッキー・ローク主演の「レスラー」は涙ちょちょ切れの一本でした。
おそらく、現在30歳代後半~40歳台以降の男性なら、少なからずこの映画から何かを感じとるはずです。
かつて、「ダイナー」「ランブル・フィッシュ」「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」「ナインハーフ」などの映画で絶頂を極め、しかしその後、整形手術の失敗やダイエットの失敗などから、かのマイケル・ジャクソンとタメを張るぐらいに不気味に容貌が変化し、最近ではゴシップ紙においてですらその名前を見なくなっていた、落ち目俳優の代表(?)ミッキー・ロークが、過去の栄光にすがって寂しく生きる斜陽のプロレスラーを見事に演じています。
これほどツボにはまったキャスティングが果たしてあるでしょうか。
今やかつての勢いはほとんどありませんが、私の幼少時にはまだプロレスは根強い人気を誇っていました。夕方、小学校から帰ってきてテレビをつけると、アブドラ・ザ・ブッチャーとかタイガー・ジェットシンとかスタン・ハンセンとかミル・マスカラスなどといったレスラーたちが、ブラウン管の中で縦横無尽に暴れまわっていました。なかでも私の印象に残っているのはアブドラ・ザ・ブッチャーです。彼の額には熊にでも襲われたかのような3本の傷跡(爪跡?)が生なましく残り、彼が登場すると会場は不気味な雰囲気に包まれました。ブッチャーは反則技を得意とし、フォークなどの(今から考えるとなぜフォークなのかよくわかりませんが)先の尖った武器を隠し持っていて、レフェリーの目を盗んでは対戦相手の額を突いて怪我をさせ、試合のたびに激しい流血沙汰となりました。幼かった私は、毎週手に汗を握りながら、悪の権化ブッチャーの狂気の振舞いを震える思いで眺めていました。
しかし、それらの“残虐行為”そのものが実は周到に計画された一種の“茶番”であったということが広く一般に知られるようになり、その頃から急速にプロレス人気は翳りを見せはじめます。プロレスは、出来レースであり、プロレス業界は総出で八百長をやっているのだといった極端な物言いをする人もいました。
そして、プロレス人気の凋落にとって変わるようにK-1のようなガチンコ系格闘技が登場し一世を風靡するようになっていきました。
映画「レスラー」においても、控え室で対戦選手同士が、試合前に段取りを周到に打ち合わせするシーンが出てきます。
ところが不思議なことに、それら周到な打ち合わせの末に繰り広げられる男同士の戦いには、いわゆる“茶番”という雰囲気が微塵も感じられません。いや、茶番どころか、彼らの試合は、まさにガチンコの真剣勝負そのものにしか見えません。
この辺の演出はとにかく涙ものです。
映画の中でミッキー・ロークが「80年代のロックは本物だ。90年台以降のロックは糞だ!」みたいなことをはき捨てるシーンがあります。
なんと格好のいい台詞でしょうか。ミッキー・ロークよ、よくぞ言った。まさにそのとおりだ。
プロレスとミッキー・ロークと80年代ロック。
この3つのタームにビビビっと反応するおじさんたちは決して少なくないはずです。
というわけで、尻切れトンボのようでなんですが、長くなったのでこの辺でおわりにします。
みたいなあって思いながら忘れてた。。
http://number.bunshun.jp/battle/wrestling/column/view/3863/
コラム書いてる人もかなり入れ込んでるみたいだね。
ミッキー・ロークいい味だしてますから、チャンスがあったら見てみてください。
「長期出張」っていいなあ(笑)半年はあっという間だよ~
下館懐かしいです。玉戸駅からのあぜ道にやたらトンボが飛んでいたのを思い出します。敷地内の住宅はあいかわらずなのかな。そう、ムカデ出た出た!ネズミもいるよ、多分。
試験、おつかれさま。「間違っても落ちられない試験」はプレッシャーかかるよね(笑)
80年代ロックか。当時は60~70年代に比べて、明らかに薄まってるって評価だった気がするけど。こうして時がたってみると、80年代には(自分が中高生だったことを差し引いても)独特の華やかさがあるよなあ。
そうそう。それなりに勉強したけど、結構難しかったね。あと、記憶の保持できる期間がとっても短くなってるのにびっくりしたよ。やっぱり年だね~。
それと、80年代ロックはまだオリジナリティがあったような気がするな。90年代以降のロックは、過去の遺産で食ってるっていうか、形骸化の極みっていうか、ロックっぽく聞こえる何者かに成り下がっているきがする。
まあ、これも栄枯盛衰っていうか、時代の流れなのかもしれないけど。。。
もう、全然覚えられない年になってきちゃいましたよね。
今いる所って、Blur vs Oasis 時代(?)にh-nkmrくんらがいたところなんですか?のどかそうでうらやましいです。
たしか90年に入る頃には「ロック不毛の80年代」と総括されていたと記憶してますが・・・某ロッキンxx誌では、「The Stone Roses とカイリー(・ミノーグ)ちゃんがロックを取り戻してくれるんだ!!」と自虐していたような・・・。この先、どうなるんでしょうね、ロックは。
先日とうとう1Q84読了しました。
Maigretさんのその後の評価はどうですか?
「ロック不毛の80年代」
そうか、そんなことも言われてましたっけね(笑)
個人的には、本格的に洋楽を聴き始めたのが80年代だったというのがあるせいか、なんやかんや言っても結構そのころのロックに思い入れがあるんですよ。今でも時々妙に懐かしくなってASIAとかjourneyとかDefLeppardとかForeignerとかのアメリカンロック(これらをロックと呼ぶかどうかは別として)をdownloadしちゃうんです。