MY LIFE AS A DOG

ワイングラスの向こうに人生が見える

Land of Silence and Darkness

2006年04月16日 17時00分14秒 | 映画
4月も中盤となり、イヤーな花粉症の時期ももうすぐ終わりだ。
ここヒューストンでは、毎年この時期になると大量のoakの花粉が飛散する。おかげで毎年この時期だけは、くすんだ灰色であるはずの僕の愛車「カムリ」までが大量の花粉を身に纏って黄金色に光り輝きはじめるのだ。その一方で僕は、期間限定の怪しげなアレルギー性皮膚炎に悩まされる。はじめのうちは原因がよくわからなかったのだが、去年といい今年といい、oakの花粉が飛ぶこの時期にほぼ一致するように症状が出現するところをみると、おそらくこれも花粉アレルギーの一種なのであろう。もちろん、アレルゲンを検査しているわけではないのであくまでも推測ではあるが・・。幸い、日本から持参したステロイドの外用剤とスーパーで購入した抗ヒスタミン剤が良く効いているようなので、なんとかこのまま乗り切りたいところだ。

さて、ということで今日も取り立てて話題がない上に、あまり長々と書いている余裕もないので、例によって最近観た映画の話を少しだけ書くことにする。
先日、またもやドイツの監督ヴェルナー・ヘルツォークの“Land of Silence and Darkness (沈黙と暗闇の国)”という映画を観た。
この映画はBlind-deaf つまり視覚と聴覚の両方に障害を持った人々の姿を追ったドキュメンタリーである。
ここに登場するのは皆、さまざまな理由で視覚と聴覚の両方を失った人たちだ。ある人は、物心が付いてから徐々に、そしてある人は生まれながらにして・・・。
ある人は、視力を失う前に見た夕暮れの田舎の畦道の情景を細部まで鮮明に憶えているし、一方、生まれながらにして視力を持たなかったある人は、はじめて触れた動物や植物の手触りについての記憶を身振り手振りを使って表現する。
ヘレンケラーがそうであったように、掌への細やかな感触でコミュニケーションをとることの出来る人もいれば、訓練を一切受けてこなかったために、他者とのコミュニケーションをほとんど取れない人もいる。
ヘルツォークはそういった人々全ての内面に潜む、五感を超越した人間の精神のようなもの、いいかえれば、隔絶された沈黙と闇の世界から本能的に湧き上がってくる、他者との関係性(コミュニケーション)に対する渇望のようなものを描き出そうとしているように思える。
人はすべて他者との関係性の中で自己を規定し、自己疎外をし、その結果として己の「生」を意識するのではなかろうか。

この映画は決して大げさな作品ではない。しかし、その後のヘルツォークの作品に連綿と受け継がれていく彼独特の人間観の原点がこの映画にはあるような気がする。

ということで、何を言いたいのか自分でもよくわからないけど、早い話しが、結構いい映画だったということだ。

おしまい。
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2 コメント

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aufheben (N)
2006-04-17 21:31:01
ヘーゲルを久しぶりに聞きました。

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Nさま (kazu-n)
2006-04-18 10:55:58
こんにちは。

ヘーゲルですか。。ドイツ観念論哲学の父(だか兄だか弟だか)という人ですね。まあ、あまり深くは突っ込まないでくださいボロが出るので(笑)



ということで、全然関係ないですが、小沢一郎にはまじで頑張ってもらいたいものです。
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