本日、映画2本。
1本目 「ソフィアの夜明け」
2本目 「アイルトン・セナ 音速の彼方へ」
2本ともとてもよかった。
1本目の「ソフィアの夜明け」。
第22回東京国際映画祭グランプリ。最優秀監督賞。最優秀男優賞受賞。
タイトルの通り、ブルガリアの首都が舞台。
手っ取り早く言ってしまうと、“生きている意味を見いだせずに苦悩する男の話”である。
おそらく、その手の映画は日本でも腐るほど作られている。
しかし、ヨーロッパにおける現実の過酷さが日本の比ではないということなのか、この映画の醸し出す絶望感と言ったら並大抵のものではない。
その辺の日本映画と比較することにある種の戸惑いすら覚えてしまう。
だからこそというべきか、希望というにはおこがましいくらいのわずかな希望の兆しに激しく心が洗われる。
いい映画だ。
2本目は「アイルトン・セナ 音速の彼方へ」
セナの生い立ちを追ったドキュメンタリー映画である。
アイルトン・セナが死んだのは1994年の5月1日のことだ。
当時、日本は空前のF1ブーム。
F1にはほとんど縁のない僕のようなものですら、日曜の夜中になるとフジテレビにチャンネルを合わせていたものだ。
おそらく、日本におけるF1人気のほとんどはアイルトン・セナに負っていたといっても過言ではないというくらいに、アイルトン・セナは絶大な人気があった。
なぜ、日本においてセナがあれほどまでに人気があったのかを推測するに、ブラジルから単身F1の聖地ヨーロッパに乗り込んで大活躍するセナの姿に、立身出世を美徳とする日本人の多くが強い共感を覚えたからではないだろうか。
1994年5月1日、サンマリノグランプリ。超高速コーナー“タンブレロ”で事故は起きた。
あの事故の瞬間を見届けた、僕を含めた世界中の数千万人の人々にとって、この映画は文字通り涙なしには見られないものだ。
かくいう僕も、何度か涙腺が緩んだことを告白しなければならない。
F1なんぞ、ほとんど興味がなかった私だが、セナと同時代に生きられたことを改めて誇りに思った。
1本目 「ソフィアの夜明け」
2本目 「アイルトン・セナ 音速の彼方へ」
2本ともとてもよかった。
1本目の「ソフィアの夜明け」。
第22回東京国際映画祭グランプリ。最優秀監督賞。最優秀男優賞受賞。
タイトルの通り、ブルガリアの首都が舞台。
手っ取り早く言ってしまうと、“生きている意味を見いだせずに苦悩する男の話”である。
おそらく、その手の映画は日本でも腐るほど作られている。
しかし、ヨーロッパにおける現実の過酷さが日本の比ではないということなのか、この映画の醸し出す絶望感と言ったら並大抵のものではない。
その辺の日本映画と比較することにある種の戸惑いすら覚えてしまう。
だからこそというべきか、希望というにはおこがましいくらいのわずかな希望の兆しに激しく心が洗われる。
いい映画だ。
2本目は「アイルトン・セナ 音速の彼方へ」
セナの生い立ちを追ったドキュメンタリー映画である。
アイルトン・セナが死んだのは1994年の5月1日のことだ。
当時、日本は空前のF1ブーム。
F1にはほとんど縁のない僕のようなものですら、日曜の夜中になるとフジテレビにチャンネルを合わせていたものだ。
おそらく、日本におけるF1人気のほとんどはアイルトン・セナに負っていたといっても過言ではないというくらいに、アイルトン・セナは絶大な人気があった。
なぜ、日本においてセナがあれほどまでに人気があったのかを推測するに、ブラジルから単身F1の聖地ヨーロッパに乗り込んで大活躍するセナの姿に、立身出世を美徳とする日本人の多くが強い共感を覚えたからではないだろうか。
1994年5月1日、サンマリノグランプリ。超高速コーナー“タンブレロ”で事故は起きた。
あの事故の瞬間を見届けた、僕を含めた世界中の数千万人の人々にとって、この映画は文字通り涙なしには見られないものだ。
かくいう僕も、何度か涙腺が緩んだことを告白しなければならない。
F1なんぞ、ほとんど興味がなかった私だが、セナと同時代に生きられたことを改めて誇りに思った。
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