昨日、久々にDCに行ったら
なんだかすごく人がいっぱいいて道路の両側に人垣ができていました。
これは何かあるなーと思い聞いてみると、なんとゲイのパレードが通るのだとのこと、、
それを見物するためにみんな集まっていたのです。
おいおいゲイのパレードってなによ!!
くっそー、デジカメ持ってくればよかった!と思いましたが後の祭り、、
その後僕らはお店に入ったのでちゃんとは観られなかったのですが、
窓からこっそり覗き見たところでは、思い思いの衣装に身を包んだ大量のゲイのおにーさん達が装飾バリバリのオープンカーみたいなやつに乗っかって楽しそうに通っていきました。
アメリカってすごい国だなーとあらためて思いました。
アメリカ国内でも州によっては男性同士の結婚を認めているところもありますが、さすがにまだゲイが完全に市民権を得ているわけではありません。
にもかかわらず、彼らのおおっぴらで底抜けの明るさには本当にびっくりさせられます。
陰気臭いところが微塵もないんです。
日本でもそうですけど、オカマの人ってほんと明るくて人を楽しませるのが上手な人が多いですよね。(ちなみに厳密にはオカマとゲイは違うらしいのですが、、、)
しかし、それ以上に驚いたのは、彼らゲイのカップルの多くが、自ら里親になって孤児達を引取って自分達の子供として育てているのだそうな、、、
当然自分達で子供をつくることはできないから、ある意味しょうがない部分もあるけど、
それにしても、なんていうか、我々日本人には絶対できない発想だなーと感心してしまいました。
アメリカの里親制度にもいろいろ問題があるので手放しに称賛するつもりはありませんが、少なくともこうした制度のおかげで孤児達の何割かは条件の悪い施設から抜け出すことができ、より人間的な生活が送れているというのも事実です。
最近アメリカには失望させられることも多いですが、
こういう話を聞くとちょっと希望が湧いてくるような気がします。
なんだかすごく人がいっぱいいて道路の両側に人垣ができていました。
これは何かあるなーと思い聞いてみると、なんとゲイのパレードが通るのだとのこと、、
それを見物するためにみんな集まっていたのです。
おいおいゲイのパレードってなによ!!
くっそー、デジカメ持ってくればよかった!と思いましたが後の祭り、、
その後僕らはお店に入ったのでちゃんとは観られなかったのですが、
窓からこっそり覗き見たところでは、思い思いの衣装に身を包んだ大量のゲイのおにーさん達が装飾バリバリのオープンカーみたいなやつに乗っかって楽しそうに通っていきました。
アメリカってすごい国だなーとあらためて思いました。
アメリカ国内でも州によっては男性同士の結婚を認めているところもありますが、さすがにまだゲイが完全に市民権を得ているわけではありません。
にもかかわらず、彼らのおおっぴらで底抜けの明るさには本当にびっくりさせられます。
陰気臭いところが微塵もないんです。
日本でもそうですけど、オカマの人ってほんと明るくて人を楽しませるのが上手な人が多いですよね。(ちなみに厳密にはオカマとゲイは違うらしいのですが、、、)
しかし、それ以上に驚いたのは、彼らゲイのカップルの多くが、自ら里親になって孤児達を引取って自分達の子供として育てているのだそうな、、、
当然自分達で子供をつくることはできないから、ある意味しょうがない部分もあるけど、
それにしても、なんていうか、我々日本人には絶対できない発想だなーと感心してしまいました。
アメリカの里親制度にもいろいろ問題があるので手放しに称賛するつもりはありませんが、少なくともこうした制度のおかげで孤児達の何割かは条件の悪い施設から抜け出すことができ、より人間的な生活が送れているというのも事実です。
最近アメリカには失望させられることも多いですが、
こういう話を聞くとちょっと希望が湧いてくるような気がします。
「めぐりあう時間」という映画を見たときも
良くわかんないな~と思ったし、
その間に育つ子供の気持ちも良くわからないな~と
思ったし・・・。
子供の育つ環境って難しいですよね。
新聞とか見てても、補助金目当てでたくさん里子をとって、子供の面倒をほとんど見ないで餓死寸前に追い込んだ親がときどき捕まってますし、ゲイの親に育てられた子供が本当にハッピーな人生をおくれるのかといった疑問も湧きます。
おそらく、スタート当初はとても崇高な理念に支えられた制度であったのでしょう、、、
あらゆる制度には正と負両方の作用があり、一概にいいとか、悪いとか言うことは出来ないのかもしれませんね。
ただ、こういう新しいシステムを作り上げてきたアメリカ社会の創造力みたいなものは率直に感じますね。
朝令暮改じゃ困りますけど、たとえ回り道してでも少しずつ変っていける力が今の日本にもほしいなと思います。
「めぐりあう時間」まだ観てないのですが、機会があったら是非観てみたいです。
しまいました。
一生懸命育てよう、と思うだけではうまくいかない
こともあるようです。
一方、実の親でなくては子供が育たないかというと
そうでもないのでしょうし・・・
里親制度自体は元々が善意を前提として作られた制度
なのでしょうから、いろいろな問題も起こりやすくなる
のかもしれません。
自分のしたいようにすることと
恋人と一緒に居る事を選択するとき、
kazu-nさんが自分のしたいことの方を選ぶ
一番大きな理由ってなんですか?
それは恋人の存在はいらなくなったからでしょうか?
それから一生懸命考えてくれてありがとう。
レスをつけておきました・・・。
どのようなことで呼び出されたのかも知らないでどうこう言える立場ではないんですが、
子供の頃、僕の親も僕のことでしょっちゅう呼び出されていました。
学校にも呼び出されましたし、警察に呼び出されたこともありました。
まあ、いろんなことがあったですけど一応それなりの社会人にはなれました。
そうやって子供は大きくなっていくのかもしれません。
慌てず夫婦で見守りたいと話し合いました。
先週までの多忙さとは打って変わり、
穏やかに毎日が過ぎています。
今週こそDVDが観られそうです。
保育士として養護施設で働いていたとき、
本当にそう思いました。
でも、一人の人格と向き合うって素敵なことだなって
同時に思ったんですよ。
私は他人の子は育てた経験があっても、
自分の子供は育てた経験がないので、
偉そうなことは言えないんですけど・・・。
でも、私は「育てる」ことを通して一番自分が
「育てられた」気がしてなりません。
一緒に成長することなんだなって思ったんですよ。
一緒に考えて、一緒に悩んで、ちゃんと向かい合うことなんだなって。
まだまだ学習中ですけどね。
ところで(話題が飛んで申し訳ない)、盲導犬を育てるときには、幼い頃のある期間ひたすら愛情のみを注いであげる時期が必要なのだそうです。
人の愛情を目一杯注がれた子犬だけが盲導犬になれるのだとか、、、
犬と一緒にすると怒られるかもしれませんが、
人間の子もきっと同じなのではないでしょうか?
幼い頃のある時期に、盲目的と言ってもいいぐらい愛情を注いでくれる人が身近にいるかどうかって、きっととても大切なことなのでしょうね。
(もしそれが生みの親でなかったとしても、、)
つまり、「愛されている」という事がわからないと「愛する」ことは出来ないことになるわけで・・・。
深いですよね。