明海大学大学院応用言語学研究科

Meikai Graduate School of Applied Linguistics

課題(「良心=conscience」の不適切さ)への解答

2013年07月08日 | 英語

 

 山岸教授がお出しくださいました課題(「良心=conscience」の不適切さ)への解答が揃いました。今回も前回同様、博士前期課程1年生で、英語が分かる学生を対象に解答を提出をしてもらいました。

Joeさん
 日本語の「良心」と英語の”conscience”は使う場面が重なることが多く、通訳などの時のように即座に人から理解を求める場合bには十分機能する訳語だと言えよう。しかし、全く一緒であると勘違いしてはならない。両言語で悪と善を識別するための、人の内なる基準を指すという点では共通している。両言語の国語辞書の定義を見てもはっきりした違いが見えてこないであろう。しかし、実際の使用場面を見るといくつかの重要なズレが出て来る。
 日本では「良心」の性質が予め決まっており、それに従うか従わないかによって「良心的」かそうでないかになるわけである。よって「良心的な価格」などという、くだけた使用はよく見られる。また、「良」という字が入っていることからも意味的に定まっている事がうかがえる。その影響もあり、「良心」を形容詞で修飾する事は少ない。一方、”conscience”はその性質が決まっておらず、形容詞とともに用いることが多い。”good conscience”、”bad conscience”が慣用句であることからわかるように”conscience”にはいくつかの種類がある。山岸(2004: pp. 210)の言葉を借りると、「『善悪』の判断をするための力は信仰の中からGodによって授かるものであり、すべての人間に生来的に備わっているものではない」。
 もう一つ重要なところは、英語圏の文化では”conscience”は擬人化している。アメリカのテレビドラマでよくうかがえる肩の上でもめあう、小さな天子と悪魔を思い出してみるとわかることだろう。私の知っている限りでは日本ではそういった擬人化は普及していない。その違いでも用法が影響を受けます。英語で”guilty conscience”というフレーズがよく使われるが、普段”guilty”という形容詞は人に対して使うものである。”guilty conscience”でアメリカ人の私が連想するのは罪悪感に駆られている人だから、これも例外ではないであろう。
 こうして全面的に「conscience」を「良心」で訳せると安心してはならないことがわかったのではないかと思う。というものの、「良心」より適切な訳語があるわけでもないため、この訳を余儀なくさせられる場面は必ずでてくるものである。その際にこうしたズレがある事を意識し、相応な補修ができればと筆者は考えている。

 

陶さん
自分の感覚で言うと、conscienceは人間の意識的と精神的な言葉、一方、良心は道徳的な言葉だと思うので、良心と訳さないほうがいいと思う。

 

ズルフィアさん
山岸教授、いつもお世話になっております。言葉の意味をいつも教えてくださってどうもありがとうございます。当課題を通して言葉の訳や解説には改めて考えるようになりました。なぜ「conscience」は「良心」と訳されるのが好ましいか。という課題に関して次のように述べたいと思います。
 「conscience」は「良心」と訳すると誤訳される可能性が高い。外国の語彙を解説するときその国の文化も考慮しないといけない。だから、山岸教授はスーパーアンカー英和辞典の改訂版で記述したように言葉の訳には明示的(辞書的)解説だけではなく暗示的(文化的)意味も必要だそうです。したがって、「conscience」を「良心」というより英語文化の視点からの解説によると、「conscience」は「個人における」善悪感、善悪の判断力という意味であり、キリスト教徒としての生活する際にの言動の判断基準となるものであるという意味を出したほうがいいと思います。
どうぞよろしくお願いします。

秀さん
 consciousは(内心で)意識している、自覚しているという意味で、良心は英語でconscienceである。例えば、饅頭と言ったら日本人には普通中身が入っているイメージで、中国人には、中身が入っていないイメージである。

大塚
まずは、国語辞典における「良心」と(学習用)英英辞典における"conscience"の定義、意味を記す。

大辞林 第三版 三省堂 (オンライン版)
 道徳的に正邪・善悪を判断する意識。 「-の呵責(かしゃく)を感ずる」
広辞苑 第五版(岩波書店)
 何が善であり悪であるかを知らせ、善を命じ悪をしりぞける個人の道徳意識「-がとがめる」
Oxford Advanced Learner's Dictionary (online)
 the part of your mind that tells you whether your actions are right or wrong
Longman Dictionary of Contemporary English (online)
 the part of your mind that tells you whether what you are doing is morally right or wrong
Merriam-Webster (online)
 the sense or consciousness of the moral goodness or blameworthiness of one's own conduct, intentions, or character together with a feeling of obligation to do right or be good

 このように、国語辞典における「良心」の定義と、学習用も含めた英英辞典における"conscience"の「意味」「定義」は同じと言ってもいいであろう。しかし、それを英和、和英辞典において、第一訳語にそれぞれを充てることは必ずしも適切とは言えない。手元の英和辞典を見ると"conscience"の辞書における第一語義は以下の通り。

《手元にある学習英和辞典における"conscience"の訳語比較》
 A辞典 良心、善悪の判断力、分別、誠実さ
 B辞典 良心、道義心
 C辞典 良心、道義心
 D辞典 良心、道義心、善悪の判断力;良心にしたがうこと;後ろめたさ
 E辞典 良心、道義心、善悪の観念[判断力];罪の意識
 F辞典 良心、道義心;善悪の判断力、分別;罪の意識、気のとがめ

 しかし、英語表現として"good conscience"や"bad [eveil ] conscience"が存在する以上、前者の訳語に「良い良心」,後者の訳語に「悪い[邪悪な]良心」をあてることが不適切であることは明々白々である。
 "good conscience"や"bad [eveil ] conscience"という表現はキリスト教文化、ユダヤ教文化を反映したものである。これについては山岸、関根(2004)の該当部分を抜粋する。
 
    キリスト教、ユダヤ教が主流の英米語圏において、「善悪の判断」をする力は進行の中からGodによって授かるものであり、
   すべての人間に生来的に備わっているものではないのである。したがって、good conscience(善の心)もあれば、eveil
   conscience(悪の心)、guilty conscience(罪の意識)もあるのである。

 このように、"conscience"はキリスト教、ユダヤ教文化を反映したものであることが分かる。一方、日本語の「良心」は特別キリスト教に影響を受けたものではなく、儒教思想の影響を受けたものと考えられる(『孟子』における「良心」は「人に固有の善心」)。

 ちなみに、前掲の山岸、関根(2004)では、「良心」と"conscience"の「日常性」にも言及している。すなわち、「良心」ということばは比較的くだけた場面でも用いることがあるが、"conscience"は人間の本質的な問題などに用いられる傾向がある。

 以上を踏まえると、良心=conscienceとすることにより、ミスリーディングが起こる可能性がある。辞書における「第一訳語」は、その単語の意味の典型でなくてはならない。ミスリーディングを起こさないためにも、第一訳語の検討が必要であると考えられる。

参考文献 山岸勝榮・関根紳太郎. 2004.『100語で学ぶ英語のこころ ー日本人の気づかない意味の世界ー』 株式会社研究社

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以上、私見を述べました。今回の課題は、訳語の適切さを考えるきっかけになっただけではなく、説得力のある文章を書くことの大切さに気づくことができました。課題を与えてくださり、まことにありがとうございました。
                                      

また、秀さんは日本語と中国語の単語におけるズレを一つ、身近な例として挙げてくれました。

秀さん
 饅頭と言ったら日本人には普通中身が入っているイメージで、中国人には、中身が入っていないイメージである。

 秀さんの言うとおり、多くの日本人にとっては饅頭と言えば、中身が入っているものを連想しますね。興味深い例です。

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博士前期課程1年生諸君
 「conscience=良心」と直結させることの問題点は何かという課題でしたが、全員の諸君がそれぞれよくまとめています。日本語の「良心」は「人が生まれつき持っている良い心」という意味で理解されていますし、日常的にはその意味で用いられています。「善悪を判断する力」という、本来ならconscienceの第一訳語とすべきものが、従来の英和辞典では従属的なものとして記述されています。英語のconscienceは「良心」(=「人が“生まれつき”持っている良い心」)という意味ではなく、「神(=唯一絶対神)との正しい精神的交流によって、神から“授けられる”もの」という意味です。もっとも、昨今のキリスト教徒、ユダヤ教徒など、一神教を文化背景に持つ人々には、その意味が分からない人たちが大勢いますが…。Joe君、大塚君、その他の諸君はそこらあたりが理解できているようで安心しました。秀さんの饅頭のたとえは面白いですね。

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山岸先生
最近大変お世話になっています。またまたご回答をありがとうございます。こういう言語について考える機会を求めて大学に戻ったわけですから、先生の課題、そしてその回答はいつも大変ありがたくぞんじあげております。
これからもどうぞよろしくお願いします。
Joe

山岸先生
回答をまた掲載していただき、本当にありがとうございました。
陶麗羽

山岸先生
いろいろお教えくださいましてまことにありがとうございます。これからも頑張りますのでよろしくお願い致します。
秀芝

山岸勝榮教授
この度も大変興味深い課題をくださいまして、誠にありがとうございます。言語間におけるズレを研究することで、コミュニケーション上の摩擦が少なくなり、お互いに良い関係を築くことができると信じております。そのような研究に少しでも携われることは大変光栄でございますし、身の引き締まる思いでもあります。わたくしからも問題提起ができるよう、日常のことばにより敏感になるよう努めてまいります。改めまして、課題を出してくださったことに感謝を申し上げます。
大塚孝一


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