ずっと頭がいいとはなんだろうと考えていた。
そんなことを考えていた時に、ビートルズの“Let it be”って何だろう?との思いが生じた。
“Let it be”は訳すと「あるがままに」「そのままでいい」、人によって意訳して「身を任せなさい」ということになる。というか「あるがままに」とは何だろう?その内実を考えていた。
そこでふと思い出した言葉が、英語ではなく中国語。論語の中の「忠恕」である。「忠」は心の真ん中の意味。「恕」は心に従う(心の如し)程度の意味だと思う。つまり、心は自分の心に従うという意味だろう。「忠恕」という言葉が使われるのは、孔子のような偉人は自分の心に従うという文脈で出てくる。
「忠恕」が「あるがまま」「そのままでいい」などの““Let it be”という言葉と重なった。僕なりに意訳しよう。自分の心に嘘をつかない状態。
僕たちは自分の心によく嘘をつく。どういう時に、誰が嘘をつかせるのだろう。頭が働くときではないだろうか。「こうすると、得である」「損である」などと頭で善悪や損得を計算していないだろうか。嘘をつくとは心に従わず、頭に従うという意味ではないだろうか。
頭に従うと、結局心は傷つく。明らかに母親にネグレクトされていたとすれば、その心には大きな負担が生じる。しかしながら、そこで「本当は母親は僕を愛している」と頭が嘘をついて、心をねじ伏せる。自分の心に頭が嘘をつかせるのだ。
そして、「頭がいい」とは心に従うのではなく、頭の中の理屈で心をねじ伏せている状態ではないかと思うのだ。そうすると、実はその人の心は傷ついている。その傷を覆うために、他者より頭がいいことを優先する、そんなことではないだろうか。
だから頭がいいとは心に嘘をつく人で、”本当に”頭がいい人は心に従う人である。頭がいいを乗り越えて行くのだ。
プラトンの想起説や魂の世話という考えは、つまり“Let it be”ということではないかと、そんなことを考えたりした。
Whisper Words of Wisdom, Let it be
CleverではなくWisdom、心の小さな声には知恵がある。あるがままでいい。
There Will be an answer,Let it be
そこに答えはあるだろう。あるがままでいい
大切なのは心の小さな声、つまり「内なる声」。心は何が正しいか知っているということのようだ。
これが偉人である。何だか思想的というか、宗教的になったような気がする。